ナンジャモンジャの木 Ⅱ 篠山市
先のブログのに書いた「ナンジャモンジャの木」ですが 一週間後:ほぼ満開になった「ナンジャモンジャの木」を見ていただこうかな (●^=^●)ナンジャモンジャの木 一代目は幕末の頃 江戸城近くにあり、大正13年天然記念物の指定を受けている。二代目:明治神宮外苑に有って名物となっている木から種を譲り受け、五年後にやっと芽が出て播種後10数年して開花したのが此の篠山市曽地(そうじ)のナンジャモンジャの木です。
中世:明智光秀に遠巻きにされ八上城に籠城した波多野氏将兵のもとへは 摂津三田方面から兵糧物資が運び込まれました。この曽地から尾根を越えた殿町の奥谷城からは尾根伝いに八上城へ通じる重要拠点。兵糧輸送に関わった僧や民間人が捕らえられ処刑された悲話が此処に伝わる。八上城側の砦として、後には光秀方に抑えられて物資輸送監視の砦となったと思える城砦探索を兼ねて行ったが、遺構判断も出来ないまま天狗岩(520m)まで縦走して基点に戻った。城探索は不発だったが「ナンジャモンジャの木」は満開。350m程川上にも もう一本あるが変わらず風の止む時がなく絶えず揺れっぱなし。カメラ泣かせの花と木ではありますね。
中世:明智光秀に遠巻きにされ八上城に籠城した波多野氏将兵のもとへは 摂津三田方面から兵糧物資が運び込まれました。この曽地から尾根を越えた殿町の奥谷城からは尾根伝いに八上城へ通じる重要拠点。兵糧輸送に関わった僧や民間人が捕らえられ処刑された悲話が此処に伝わる。八上城側の砦として、後には光秀方に抑えられて物資輸送監視の砦となったと思える城砦探索を兼ねて行ったが、遺構判断も出来ないまま天狗岩(520m)まで縦走して基点に戻った。城探索は不発だったが「ナンジャモンジャの木」は満開。350m程川上にも もう一本あるが変わらず風の止む時がなく絶えず揺れっぱなし。カメラ泣かせの花と木ではありますね。
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