瑞雲寺と穴太積み「石の声を聴く…」 丹波市

瑞雲寺(曹洞宗)で穴太(あのう)衆の石匠:粟田純司氏の講演があると聞いて出掛けた。丹波市でも最古級の東芦田城(小室城)を間近に仰ぐ瑞雲寺の城郭を思わせる高石垣には以前訪れた際にも圧倒されていた。また小室城主:蘆田金猶(かねなお)が祀られる寺とも聞いていた。銘には骨 偏に蘆と書かれているのは、戦いで【足利尊氏が都を追われ丹波に逃れた際、久下氏と図って此の地で挙兵した】討たれ落城したと云い、頭・胴等身体が分かれた遺体を持ち帰って弔った為、此の字が付されているのだとは講演後に御住職から聞いた話。
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比叡山山麓の坂本:日吉大社に行った時、周囲を散策していると風景に溶け込む自然石を積み築かれた穴太積の石垣を見る。土の城で土留めに石積が残る程度の中世山城から近世の平城・平山城へ、堅牢な石垣の城が築かれ其の中でも石工集団:穴太衆による石積技術は、天正4年(1577)丹羽長秀を奉行として築かれた織田信長の安土城により認められ広く周知されていきます。
       東芦田城(小室城)主郭部の石垣!!
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丹波に石垣の城は非常に少なく、有っても黒井城に見る古い野面積。唯一残る近世の石積の城:和田岩尾城の城主が比叡山の法師であった木戸十乗坊(佐野栄有)なので、其の穴太積技法が見られるようです!!(写真は小室城の石垣です。石材は普通5km以内の範囲から集められると言われるので瑞雲寺石積石と同じかと思い此処に掲載) 14代穴太衆頭:粟田純司氏の講演は、古い石積技法の伝承を引継ぎ「石の声を聴く…」その長年の経験から生まれる感覚・手間時間を惜しまず耐久性のある強固な石積みを残していきたいと感じられるようです。
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算木積等による壁面を大きく見せる石の配置や、内部に栗石(ぐりいし)を多く使用し配水や、重圧を食い止め分散させる等、表からは見えないところに配意する為稼動時間がかかる。裏込め石加工の手抜き・コンクリートによる簡便だが配水が悪く耐久性のない安易な工法には妥協しない「匠」の姿勢には感動さえ覚えます。朝鮮式古墳の石室工法から始まり・第二名神での護岸壁工事の穴太積みに至る講演のあと、瑞雲寺の高石垣に移動して古い石積が穴太積か?の検証をされる。詳細は略すが粟田氏側が当地石工の野面積・御住職側の石積に穴太積の工法が見られます。石は古い様ですが石垣は1~2度・時期は不明!!だが積直されているようです。

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