福中城 神戸市
明石市からR175号を北上し・第二神明の玉津インターを抜けると緩斜面が平野町へ続き・峠近くの福中には「嘉吉の乱」に滅亡した播磨守護職赤松家の再興を期し:吉野南朝方に討ち入りし三種の神器を奪還した赤松浪人の一人:間嶋彦太郎を祖とする菩提寺がある。此処が平野庄を領した間嶋氏の本拠福中城でした。
室町幕府から赤松政則に赤松家再興を許され、政則について「応仁の乱」を戦い、天正三木合戦には父子で別所長治と秀吉方に分かれて参戦し別所氏についた父の菩提を弔うため、子の彦太郎が創建した寺に彦太郎の供養の五輪塔が三基建つ。いずれも彦太郎を祀るもの!で代々:彦太郎の名が継がれているよう…!だが詳細不詳…。城遺構はなさそうだが雰囲気は残る。R175線の平野八幡神社は弓名人・彦太郎の弓が納められていたと云い:間嶋氏子孫が保管されている弓矢が:八幡神社例祭に奉られるそうです。
室町幕府から赤松政則に赤松家再興を許され、政則について「応仁の乱」を戦い、天正三木合戦には父子で別所長治と秀吉方に分かれて参戦し別所氏についた父の菩提を弔うため、子の彦太郎が創建した寺に彦太郎の供養の五輪塔が三基建つ。いずれも彦太郎を祀るもの!で代々:彦太郎の名が継がれているよう…!だが詳細不詳…。城遺構はなさそうだが雰囲気は残る。R175線の平野八幡神社は弓名人・彦太郎の弓が納められていたと云い:間嶋氏子孫が保管されている弓矢が:八幡神社例祭に奉られるそうです。
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