赤穂岬~坂越~相生白龍城へ

画像県立海浜公園から千種川河口を挟んだ対岸の丘陵に灯台や赤穂岬温泉のホテル建物が見える。岬の海岸線に沿って西から南がわへと遊歩道が此処にもマイナーながら「忠臣蔵」の1シーンが残ります。大石良雄の「名残の松」が此処にもあり赤穂の城を明渡した後:大石良雄が海路を遥か大坂へと妻子を送り出したところ。自らも10日余り後には京・山科に向うが其の時:岬に立つ老松を見送りつつ名残を惜しんだと伝えられます。
其の姿が車道では峠越えとなる最高地点の赤穂東御崎展望台の立つ。瀬戸内海の播磨灘と家島諸島を望む位置。峠からの下りに期待の展望もコンクリートフエンスに阻まれて、車高の低い普通車では海の耀きも・碧さも、知らぬ間に画像丸山の海水浴場に下りてくる。
前方に生島が見えると・其処が坂越浦 赤穂の塩は此処から塩廻船で運び出されたのですね。坂越浦バス停には「旧坂越浦会所」があり天保年間:瀬戸内行政や商業などの事務をとるための村会所として建てられたが、赤穂藩主の茶屋として藩主専用の部屋が設けられています。外観からは想像できない重厚な造りの様です。此処からR250へは旧街道筋を思わせるに石畳、古い商家等が軒を並べる大道(だいどう)には、室津の様な海の宿場町の情緒が漂います。通りに面して奥藤酒造郷士館がある。地酒「忠臣蔵」・「乙女」の薦被りが店先にあり内に入った正面の蔵2Fが郷士館。廻船業で財を成し酒造りの他:代々の大庄屋、西国大名の本陣ともなっていたといいます。
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大道からR250号に出る手前に復元の木戸門跡がある。赤穂の塩は赤穂岬の峠越えではなく、千種川沿いに荷車や船で坂越へ運び込まれ、主に:其の検問・監視の治安維持を行った屯所の様なところだったのでしょうか?。此のR250をJR相生駅に向う途中にある中華カラー一色の派手な建物が道の駅:白龍(ペーロン)城です。中国色の建物とペーロンについて、未だ何も調べていないが「相生」と云えば此のペーロン競漕が、真っ先に思い出されますが、未だ見たことはない。代わっての代表は今や「ど根性だいこん」?神社?まで有るがご利益はあるのかな?全国的に知られた「カリスマ大根」君ですが既に伝説となったか?:人気はいま一つ?
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