丹波吉野・鐘ヶ坂 丹波市柏原町
江戸時代後期の浮世絵師・歌川(安藤)広重が「六十余州名所図会」の一つに「丹波鐘坂」があって、此れには巨岩が巨岩に橋のように架かっている「鬼の架け橋」が描かれています。
此処には天正期:明智光秀が波多野氏(篠山)と黒井城の荻野・赤井氏との連絡を断ち丹波攻めの拠点の一つとした金山城がある。峠越えの道は昔より名にしおう難道でした。現在でも車では坂とカーブと通行量が多いので冬季や桜・紅葉のシーズンでは見とれて脇見運転は危険です。
今も昔も篠山市と氷上郡・郡境の鐘ヶ坂は交通の難所で、現在の国道176号線鐘ヶ坂トンネル(昭和42年開通)の柏原側出口の西上方に旧トンネルへと延びる荒れた道路跡が続きますが明治16年(1883)我国の道路トンネルとしては最も早い時期に開通しその重要性が窺えます。
この開通を記念して峠道に桜を植え「丹波吉野」と呼ばれるようになり鬼の架け橋と共に丹波の名所にもなっています。しかし今は国道の峠道を越えて鐘ヶ坂公園を通る車は無く、新鐘ヶ坂トンネルを抜けるバイパス道が通じて篠山市と丹波市の大動脈として流れています。

此処には天正期:明智光秀が波多野氏(篠山)と黒井城の荻野・赤井氏との連絡を断ち丹波攻めの拠点の一つとした金山城がある。峠越えの道は昔より名にしおう難道でした。現在でも車では坂とカーブと通行量が多いので冬季や桜・紅葉のシーズンでは見とれて脇見運転は危険です。
今も昔も篠山市と氷上郡・郡境の鐘ヶ坂は交通の難所で、現在の国道176号線鐘ヶ坂トンネル(昭和42年開通)の柏原側出口の西上方に旧トンネルへと延びる荒れた道路跡が続きますが明治16年(1883)我国の道路トンネルとしては最も早い時期に開通しその重要性が窺えます。
この開通を記念して峠道に桜を植え「丹波吉野」と呼ばれるようになり鬼の架け橋と共に丹波の名所にもなっています。しかし今は国道の峠道を越えて鐘ヶ坂公園を通る車は無く、新鐘ヶ坂トンネルを抜けるバイパス道が通じて篠山市と丹波市の大動脈として流れています。
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