光竜寺城・野間山城 多可郡

嘉吉の乱で滅亡した赤松氏・嘉吉の乱以前の旧赤松家重臣の在田氏は河内城(加西市)を本拠としていたが赤松氏衰退の嘉吉の乱後に台頭してきた播磨守護代:浦上村宗は永正18年(1521)赤松義村を暗殺して西・東播磨の領国支配の実権を握ると在田氏等は義村の子・才松丸(後:晴村の幼名)を擁して反村宗派として戦います
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彗星の様に現れ重臣の席に就いた別所氏にも押され気味…!! 脅威を感じていたのかも…河内城から野間の本拠を移して光竜寺城を築き、野間山城を詰め城として築き野間川沿いに花の宮砦・片瀬砦等を築き構える…これ等の城砦を総称して野間城と呼ばれるが曲輪・堀切・石垣等の見所多い二つの野間城は光竜寺城の
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搦め手道からスタートし大手道の土塁付竪堀を見て極楽寺から野間山城を攻め、城フアンも余り行かない?「しょうどの丸」(大殿に対する小殿・城主の子の意味か:少輔等の官位を持つ将の砦だったか?)にも行ってみる。「しょうどの丸」手前の岩稜からの展望は城フアンならずともハイカーにも魅力のポイントです。
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大手道の鞍部に戻り、大堀切からは細い尾根上に曲輪を連ねる文字通りの梯郭式縄張りの主郭群を東郭「本丸敷」に向う。尾根通しの丘陵部分は両端ギリギリまで削平された曲輪・通路は南面切岸下を通るが、露岩を削り諸々に石積・石垣が残る。展望の良さと天気に恵まれ上々の城廻りが楽しめた。
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この記事へのコメント

山城甚伍
2008年06月30日 20:28
天々さん、ご無沙汰しています。
今春、3月22日のオフ会ではお世話になりました。森本城、光竜寺山城に続き、大手道を挟んだ野間山城・鶴翼のイメージ図には手こずりましたが、やっと野間山城をブログUPできました。
 これから、神吉城や新庄城、八木城、蟠根寺城、黒田城、宍人城など口丹波の山城に取りかかります。スローペースで気ままなものです(笑)。
 訪城は、ほぼ、週一ペースでしっかりと巡っているにですが・・。

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