慈眼寺山裏山城 三木市
羽柴秀吉軍の三木城を包囲する執拗な程の付城や包囲の多重土塁は、三木城への兵糧搬入や三木城からの攻撃・三木城へ参篭する援軍を阻止してきた事でしょう。激戦地となった平田・大村・加佐の合戦場はもとより、三木城と其れを取巻く付城群の多くを眼下の望む「三木合戦一大展望所」が標高僅か150m足らず:小野市境界近くにある。山陽自動車道が走る丘陵南端の4等三角点は標高からは想像できないスケールで三木市街地を眺望出来る慈眼寺山付城は有馬法印則頼(合戦後淡河城主となり関ヶ原合戦の功により慶長6年(1601)には三田城主)が陣した付城で
三木合戦付城の中では西約1.4km・山陽自動車道三木SAで消滅した加佐山城(有馬氏と淡河城攻めにも参戦した杉原家次が陣した)と並び最高所に位置している。自動車道の工事や公園整備による改修?で土塁・堀・建物跡の礎石等遺構は探してみてもよくは分からない…!!が展望の良さだけが唯一の慰めとなる三木城付城廻り

三木合戦付城の中では西約1.4km・山陽自動車道三木SAで消滅した加佐山城(有馬氏と淡河城攻めにも参戦した杉原家次が陣した)と並び最高所に位置している。自動車道の工事や公園整備による改修?で土塁・堀・建物跡の礎石等遺構は探してみてもよくは分からない…!!が展望の良さだけが唯一の慰めとなる三木城付城廻り

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