史跡: 玉水 篠山市

篠山市で「玉水」と云えば篠山観光の観光バス御用達 数回立寄ったが一般客にはランチメニューも用意出来なくて幾度も出直したことがあった。そのレストランの東方500m程、大学病院や市民文化センターの建物から北方250m近くにアジサイ園・百合園としての「玉水」と”篠山市指定史跡・玉水”の案内説明板が車道に面して立てられています。
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駐車場の奥へと築地垣の間を少し入っ所に小さな庭園があり、池から清水の流れ出る石組みの溝が造られています。池側の”日置玉水の碑”は篠山城7代城主松平紀伊守信庸(のぶつね)が在城の元禄5年(1692)に建てたもの。此の小さな池は元黒岡川分流の川筋にあたり、篠山築城の際・二の丸の「積み上げ井戸」に向かって流れていた川床に、竹の束を並べて埋めたので水脈が通じ其々・今も涸れないと云われ、城中の水量の観測地との説もあるそうです。
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玉水の遺構は城主が茶の湯に用いる為金具を使わず、鮑(あわび)貝で掘って形も其れに似せ、貝の五つの穴にあたる所に松を植えたと伝えられます。池傍に建つ「日置玉水の碑」は元禄5年(1692)篠山藩7代目:松平(形原)信康が建てたもの。大学病院敷地内は篠山藩下屋敷跡で、一部庭園の?池跡に架かる橋の石垣復元遺構がありますが、代々篠山藩主の茶会がこの屋敷や城中で行われる際に、茶の湯に利用されていたのでしょう。


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