黒豆畑の中の村上周防守供養碑 篠山市

今朝(9月21日)は早朝(AM5:00~7:30)から単純ながらダイナミックな天空ロング・スペクタクルで目覚めます。近年稀な体感ドラマが続きましたが、皆さんのところはどうでしたか?戦国の信濃:越後の武田氏・上杉氏の戦いに上杉方として勇戦した武将:村上義清の子・村上周防守頼勝は丹羽長秀の家臣:加賀小松城主。
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主君:長秀没後は豊臣秀吉に仕え加賀国(石川県)能美郡に65000石を与えられた。その後与力大名となって春日山城主:堀秀治とともに越後国本庄に9万石で加増移封され村上城と改称。関ヶ原の合戦には東軍として越後に留まり上杉軍の一期鎮圧に努めて、所領は安堵され慶長15年(1610)亡くなります。
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村上頼勝には子がなく、頼勝の妹と戸田氏繁との間に生まれた忠勝を養子として元和2年(1616)9万石で越後村上城主の家督を継ぐが元和4年(1618)4月、家中に於ける騒動を理由に突然改易のうえ、丹波篠山へ配流になり篠山藩主:松平康重に預けられることとなり、篠山城中の一郭で起居し元和9年(1623)925歳:若くして其の一生を終え黒岡川沿いの田圃と黒豆畑に囲まれ、彼岸花の咲く土手近くに一本の木が残り、小堂と一石五輪塔の供養碑が立ち祀られています。
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地響きをあげて轟く雷鳴・激しく屋根を打つ雨足、長く続いた狂乱の後の静けさに落ち着いたと思ったら時々は雷鳴が…雨が止み曇より閉ざされた空の下 休日のこの日は若き村上周防守忠勝の無念と流転の人生を彷彿とさせる暗い一日の始まりのようです。


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