晩秋の高見山  丹波市

悠々の森から高見城山を目指す登山コースに最初に現れる3段曲輪をみて西側の谷を隔てる尾根にトラバースしてゆく山道を伝う。鴨野集落から谷詰めで此処に至るコースを検討したが、今日は高見城山から丹波の森公苑に通じる南方の尾根を辿り石戸側へ越す峠から「悠々の森」へ戻る心算。高見城砦群が北方に集中して・南方には中の台と石戸山の尾根筋以外に未だ未確認。
          中の台(高見城西郭)より高見城山
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悠々の森からの登山コースからは西へ外れていくが、登山コースの東側の大岩壁上部を亀の井戸までにも広い数段の曲輪が残る。鴨野集落からの山道と合うと直ぐ上部に台地があらわれて谷の水線が消える台地は上方に数段続いて正面には広い曲輪が3段見える。最上段の曲輪から一番大きな曲輪(15mx35m程)に出ると尾根筋に堀切と低土塁を見る。北東角が主郭に入る虎口部らしく、石は小さいが土留めらしい石列と石段らしい石組が上の段に続く。
    高見城三の丸北東出曲輪より馬背山の二ピーク(どちらも城遺構)
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北西の出曲輪には本城にもない石垣・石積の曲輪が残るが此の北東で曲輪には(山城の防御施設の特徴:堀切と土塁が高見城には顕著に残るものがなかったが…)土塁と堀切が…詳細は後日!! 砦北端の主郭に着く。細く急な尾根筋は二方に分かれるが此処も登山コースから見る限り・直進尾根先が気になるポイントですね。主郭部西面は岩棚から切れ落ちたように前方が開け展望よく、行者山や馬背山(仮称・どちらにも城遺構有り)の尖峰を望む。
         丹波の森公苑への尾根コースより望む中の台と高見城山
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今回の居住性の高い城遺構から三の丸へ辿り、主郭からは中の台(西郭)を経て予定の南尾根を辿って悠々の森へ戻ったが城遺構の収穫はゼロ。山南町側に「飛び地」の様に柏原町の石戸集落へ出れば久下氏の領地。昭和初期頃まで?石戸から大新屋の新井小学校へ峠越えの厳しい山道を通学したという…荒れ崩れ道も定かでない箇所も有って、今では想像も出来ないが山の神城と同様に間道の峠監視の砦があったのではないかと…?


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