晩秋の岩尾城Ⅲ (土の城) 丹波市

丹波の山城は織田信長「天下布武」のもと明智光秀を総大将として始まった「丹波攻略」に:大軍を擁する猛攻にも屈しない丹波勢の抵抗は手強かった。波多野氏の八上城落城後の黒井城攻めには南方の播磨からは秀吉軍の丹羽長秀等援軍を頼み
        岩尾城古城:土塁囲みの細長い曲輪
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北方は遠阪峠を越えて明智光春・丹羽秀長等の侵攻に黒井城傘下の城砦群は次々と落城。和田氏の岩尾城も天正7年5年(1579)光秀の援軍として西丹波攻略を命じられた丹羽長秀等の攻撃を受けて落城。黒井城・高見城・玉巻城等…丹波の山城がそのまま廃城となるが播磨境界にある岩尾城だけは前田玄以の武将で比叡山の
      人間地獄からの西尾根にも曲輪を挟んで3本の堀切がある
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法師だった木戸十乗坊が天正14年(1586)3,750石を領して岩尾城主( 佐野下総守栄有と改名)となり統治10年佐野氏の居城として修築され今に見る総石垣の城として復活。但馬八木城等…古城(土城)と新城(石城)共存の山城が此処にある。
         蛇山最高所の大土塁北面の石積
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岩尾城最高地:蛇山山頂の大土塁の北に古城部があり・大土塁は古城の遺物と思っていたが改修された石積の櫓台!!。古城の全域が新城の天守台・本丸・西の丸の総石垣部へと改修されたようで金山城に見る長い竪堀と竪土塁・石組み井戸下のY字状竪堀他の土木工事遺構は、新城築城の際の改修か?。


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