大山城  篠山市

恒例になった城フアン仲間との城オフ…此の時期:何時もなら温かい?播磨地歩へ出掛けているのですが、今回は足痛・腰痛を押しての参加者もあり、以前から夏場にでも!!と思っていた藤井館・今福館・館山館等の丹波の平城・城館めぐり を企画。
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先ずはJR篠山口駅からも近い大山城を振り出しに西紀から篠山市街北部を廻って、フイナーレはとっておきの館山城に決めて出発。参加者5名は もう7~8年以上の!!お付き合い。
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大山川に面しては、深く切立つ断崖状を見せる広い台地一帯は田畑が拡がっている。主郭も田畑として開墾されているが、大山城は空掘・櫓台状の大きな土塁の残欠や曲輪の形状が残されています。河川段丘に建つ城址のスケールは大きく、篠山市(旧多紀郡)内における唯一の平城です。承久の変の戦功により、大山荘に入部した関東御家人の中澤氏は、旧山陰道の要衝でもあった篠山川と大山川の出合いに城を築きますが、明智光秀の天正”丹波攻め”には藤堂高虎等に攻められ落城します。
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篠山川を降ると丹波・山南町、此処に足利高氏の旗挙げ”一番旗”で知られる玉巻城主:久下氏と中澤氏とは一族同様の仲・ともに関東より鎌倉時代に丹波の地に地頭職を得て来住し、ともに繁栄と落城の運命を共にしています。


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