板井城 篠山市
一本の幅広い土塁道が・そのまま上り土塁となり南西から主曲輪に入る虎口が開く。土塁道の西側は崖状・斜面10数m下方に武家屋敷跡らしい広い平坦地はあるが藪に覆われるが、上り土塁東側に主曲輪との段差5~6mの切岸をもつ主郭群:中央部の広い主曲輪に上がると北端に地蔵堂の小祠が建つ。
堂内祠に木札が立ち・薄くなりかけた墨書に”松平紀伊守”とある。祠北斜面下に天満神社があり社殿は元禄13年の再建。その際:板井城主山名小太郎を祀るお堂が建てられたものか?。篠山藩7代・8代に紀伊守の官位があり…7代目松平(形原)信康(任期:延宝5-享保2年)のものと思える!。
応安年間:丹波守護山名氏清により丹波と但馬を結ぶ要衝の此の地:宮田荘に築いた板井城です。帯曲輪から南と中曲輪の中央部に入る彪口と、中曲輪の西端から上り土塁となって主郭の北曲輪に入る彪口、南曲輪の櫓台付土塁!?から下方には、高さ10数mの切岸下に大土塁を挟んで二重堀切が有り、小丘陵上には見所の遺構を備えていますので、ここも少し頑張って登ってもらいます

堂内祠に木札が立ち・薄くなりかけた墨書に”松平紀伊守”とある。祠北斜面下に天満神社があり社殿は元禄13年の再建。その際:板井城主山名小太郎を祀るお堂が建てられたものか?。篠山藩7代・8代に紀伊守の官位があり…7代目松平(形原)信康(任期:延宝5-享保2年)のものと思える!。
応安年間:丹波守護山名氏清により丹波と但馬を結ぶ要衝の此の地:宮田荘に築いた板井城です。帯曲輪から南と中曲輪の中央部に入る彪口と、中曲輪の西端から上り土塁となって主郭の北曲輪に入る彪口、南曲輪の櫓台付土塁!?から下方には、高さ10数mの切岸下に大土塁を挟んで二重堀切が有り、小丘陵上には見所の遺構を備えていますので、ここも少し頑張って登ってもらいます

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