黒田如水:出生の城!!?~天狗山
羽柴秀吉の軍師:黒田孝隆”黒田如水”は小寺職隆の長子として姫路城に生まれたとも、西脇市(旧黒田庄町)の黒田城主黒田重隆の二男として生まれ:後姫路城主小寺職隆の養子となったとする二つの系図があり!…どちらが正しいのか判断出来ないと云う。贔屓目には西脇市の黒田城を黒田如水の誕生地と考えたいが
黒田家歴代城主の墓地もない。黒田城とされる稲荷社を祀る小山も整地改変され城の遺構も定かでない…が黒田城主郭部は此の伝:黒田城背後から更に東北へ延びる尾根上に在るといい:其の尾根を追っていくと一際高い峰の頂部付近に衝立する大岩壁が天狗山。これ程急峻・領有地から見ても高く・要害には違いないが
遠い山上も山城跡です。小苗前山山城が丹波国境を監視する黒田城の出城的存在かとは思えますが、城遺構を探すのは黒田城(伝黒田城も・其の詰めの山城!!?の主郭部…)も、尾根上の自然地形の中に遺構を探すのは難しそう…?。黒田城の主郭部や天狗山に城遺構を探すのは、山城の知識と眼力を持った専門家に任せる。
天狗山からは婚姻関係にあったが黒田城を攻め滅ぼした近くの石原城他…西脇市内の諸城や、丹波市側の岩尾城・岩屋城(石龕寺城)・番守寺山砦等を確認しながら展望を楽しみ、後は岩壁沿いの激急斜面を尾根を外さないように降るだけ。
丹波国境警備の城だけに丹波市側の尾根途中には竪堀やテラス状城遺構があるらしい…?が気付かずJR加古川線船町近くの作業林道(段山線)に降り立った。伝黒田城-天狗山は以前にも歩いたコースだが、黒田如水出生の真実と同様、戦国期に使用され筈の黒田城主郭の明確な遺構が確認出来ない…? 竪堀状や土塁付曲輪らしいものは見かけたが其の周辺に関連する曲輪等の縄張り遺構を見出せない

黒田家歴代城主の墓地もない。黒田城とされる稲荷社を祀る小山も整地改変され城の遺構も定かでない…が黒田城主郭部は此の伝:黒田城背後から更に東北へ延びる尾根上に在るといい:其の尾根を追っていくと一際高い峰の頂部付近に衝立する大岩壁が天狗山。これ程急峻・領有地から見ても高く・要害には違いないが
遠い山上も山城跡です。小苗前山山城が丹波国境を監視する黒田城の出城的存在かとは思えますが、城遺構を探すのは黒田城(伝黒田城も・其の詰めの山城!!?の主郭部…)も、尾根上の自然地形の中に遺構を探すのは難しそう…?。黒田城の主郭部や天狗山に城遺構を探すのは、山城の知識と眼力を持った専門家に任せる。
天狗山からは婚姻関係にあったが黒田城を攻め滅ぼした近くの石原城他…西脇市内の諸城や、丹波市側の岩尾城・岩屋城(石龕寺城)・番守寺山砦等を確認しながら展望を楽しみ、後は岩壁沿いの激急斜面を尾根を外さないように降るだけ。
丹波国境警備の城だけに丹波市側の尾根途中には竪堀やテラス状城遺構があるらしい…?が気付かずJR加古川線船町近くの作業林道(段山線)に降り立った。伝黒田城-天狗山は以前にも歩いたコースだが、黒田如水出生の真実と同様、戦国期に使用され筈の黒田城主郭の明確な遺構が確認出来ない…? 竪堀状や土塁付曲輪らしいものは見かけたが其の周辺に関連する曲輪等の縄張り遺構を見出せない

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