胸腹神社・大燈寺 丹波市

丹波但馬境界尾根に向かう山間の小さな惣持の集落に 鎮守の社が建つ。石鳥居を潜り斜面を二折れした先からは社殿に向う急な長い石段参道が 真直ぐ山腹に延びていきますが、石階段の第一歩を踏み初める入口部には城壁を思わせる様な石垣がある。登り着いた社殿は・社号は知らないが珍しい名前で胸腹神社という。疫病が大流行した時代の病気退散祈願等により想起された社なのかも知れません。佐治郷神楽の里の集落「惣」の字からは、昔は・何かの中心的な存在の村だったのでしょうか?
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胸腹神社~562m峰から尾根筋をトレースして稲土地区へ下るのが今日の目的。以前稲土城ブログに戴いたコメントにあった”ヒヨの谷の相撲場”と呼ばれる平坦地と惣持の集落名が気になっていた。稲土城から尾根を越えて惣持集落。其の西直ぐ小稗(こびえ)集落には小稗城が在る。繋ぎの城!!?関連を疑ってみたが城区画を示す遺構等は何も見出せず、広い平坦地形(相撲場?)は有ったが位置的には更に東下方。尾根・谷を下っても惣持ではなく文室(ふむろ)に下るだけ。
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稲土(いなづち)集落へ下り大燈寺に降りてきた。此処は数100m先の山麓に有る銚子ヶ水の伝承と関連深い寺。一休禅師開基を伝える寺ですが、丹波佐吉の聖観世音菩薩像が有るという。同じ佐治郷の養徳寺には佐吉の義父であり師匠の初代難波金兵衛作とされる延命地蔵尊が祀られています。

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