大手会館(旧柏原高等女学校) 丹波市

柏原藩織田陣屋跡:表御殿(書院)の写真にカイズカイブキが写っていない写真は、ひげのない信長像を見るほどに珍しい古いものと思えます。表御門から移設された陣屋敷地内北側のカイズカイブキが並ぶ影に隠れるように建つ洋館建造物がある。
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西正面に廻ってみると石門柱に老人の家・婦人の家「大手会館」の板札が掛けられている。正面玄関の扉は固く閉ざされたまま。外観の壁に白色系のオイルペンキが塗られた下見板、正面玄関上部のバルコニーと其れを支える6本の円柱や、玄関扉上にはステンドグラスを配した半円形の飾り窓。
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明治18年(1885)氷上郡各町村組合立高等小学校の校舎として建築され、後氷上第一高等小学校・郡立柏原病院・明治41年(1908)から昭和23年(1948)まで柏原高等女学校として丹波地域の女子教育の中心となり、細見綾子をはじめ、多くの才媛を育てます。戦後の学制改革により柏原高等学校に合併されてからは同校の同窓会館・昭和56年(1981)女性や高齢者の生涯学習施設「大手会館」へと変遷を経て、その役目を終えたのでしょうか?  柏原藩陣屋のシンボルとなっていた対のカイヅカイブキの間から大手会館(たんば黎明館)を…
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柏原高校の校章・柏葉と松葉の紋様!!?がバルコニーの上に見られるのですが、容有る歴史を藩校「崇広館」と共に保存・利活用できる場を設けてもらいたいものです。【追記】2015年4月大手会館は新施設の”たんば黎明館”としてリノベーションされ、フレンチレストラン”ル・クロ丹波邸”がオープンした。大手会館でも:細見綾子を輩出した柏原高等女学校でもなく、柏原高校の「高」文字を遺しながらも創設時の高等小学校の表看板。創設者で教育者の近藤九市郎氏に胸像に関心の目を向ける人は殆どいないのに…?。尤も「綾子」だけで細見綾子の歌碑だと気付く人も同じか…?


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