柏原観光案内所

丹波市柏原町の観光案内所は駅前ではなく、嘗ての武家屋敷や町屋の旧家が建ち並んでいた商店街を抜けていくと、自然と入船山の丘陵麓に在る観光案内所に着く。入船山は三丹(丹波・但馬・丹後)一の例祭「厄神さん」で知られる八幡神社には黒井城攻めの本陣だった所。
           八幡社下・木の根橋側の柏原観光案内所
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田ステ女の生家も近い。案内所隣には天然記念物「木の根橋」・車道を挟んで西向かいには織田神社が建つ。柏原藩は天領となった時期を挟んで前期・後期共に藩主は織田家。その織田家柏原藩陣屋後期織田家廟所太鼓櫓(つつじ太鼓)や武家屋敷・町屋の面影を追い、難波金兵衛の高燈篭を見て「山の駅・柏原駅」へと町内のミニ歴史ハイクも楽しめます。
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柏原藩後期織田家4代の藩主(信貞・信敬・信民・信親)にわたり相談役として、 最後の10代藩主:信親の頃の地位は執政(家老)の上にあって藩政改革を推進し、尊皇佐幕が対立した藩論には勤王に統一し、大きな混乱もなく明治維新への道を示した丹波の聖人:小島省斎は此処:案内所の位置に住み塾を開設していた。
柏原藩陣屋長屋門と車道を挟んで立つ小島省斎の顕彰碑(石工は難波金兵衛4代目?)
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また其の後案内所の位置にあった建物は、柏原中学(現:高等学校)の第二代校長大江磯吉は、島崎藤村「破戒」の主人公瀬川丑松のモデルとしても知られる人物。唱歌「旅愁」で知られる、犬童球渓も此処を下宿先としています。当時の学生の音楽授業ボイコットにより惨めな思いで辞任し、赴任先で構想を得たとされる歌詞からは、時勢とはいえ余り知られたくない部分が有っての事でしょうか?。案内説明板の少ない町内にあって此の観光案内所にも其れを知るものは無い。案内所内に展示されるパネルに気付く人も稀なのかも…?

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