北有路城 福知山市

堂本愛宕山城(北有路城)の古城主:倉橋弥三は天正の乱に山名与九郎に滅ぼされ帰農したと云われます。福知山市から由良川沿いにR175号線(宮津街道)を北有路に向う。福知山市境の与謝郡(加悦町)や加佐郡(大江町)は宮津市や舞鶴市側・丹後国のイメージが強く遠く感じる。得る情報も少なく疎遠だったが福知山市を東西から挟む天田郡(西に夜久野町・東三和町)共に:加佐郡大江町が合併で平成18年福知山市に編入された。由良川を挟む左岸の北有路・右岸に南有路・二箇の集落があって
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有路三ヶと呼ばれ由良川水運とは深く関わる名前。嘗て大江町の中心地:河守(こうもり・現在の大江町)名とはウラハラに、以前は由良川中流域の街道・河川舟運の管理・管轄は更に3~5km下流の有道郷(北有路・南有路)にあった。北に宮津・東に舞鶴・由良川沿いに福知山・右岸を南へは綾部へと丹波・丹後を繋いぐ文化・産業経済の主要街道が交差し、時に軍道ともなり通行・輸送路に渡し舟を利用する要衝だが
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北有路城は大雲橋北詰の丘陵部に在って要害の地。南の「あしぎぬ大雲の里」から城山ハイキングコース、東は光明寺から山頂部主郭に祀られる愛宕社への参道が通じ、此処には櫓台状の展望所が設けられています。城跡案内板はないが尾根続きには切岸高い土塁曲輪・大堀切・竪堀と…山城の遺構がほぼ完存しています。 

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