野村断層 丹波市春日町

春日ICから篠山方面に抜けるR69号線は栗柄峠に出る。天正3年(1575)第一次黒井城攻めでは攻略した村々を拠点に野上野・多利方面に小富士山城、棚原・朝日にかけては茶臼山城に陣を置いて街道の要衝監視・封鎖の黒井城包囲網が敷かれ、圧倒的優勢のうちに展開していた戦闘は、八上城波多野氏が突然違背し明智光秀の陣を突き、光秀が命辛々京都へと敗走したのが此の道。
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R69沿いに三尾山・譲葉山・清水山・向山へと山稜が北へ延び、向山連山の北山裾に黒井城主赤井直正(荻野才丸)の時に城主だった朝日城がある。天正3年以降・朝日から棚原へ黒井盆地の南端丘陵沿いに向城が築かれていた可能性があります。陣を敷いた茶臼山城の西には、道路工事土採りで消滅したが火山(ひやま)城、東へは惣山城と棚原城が僅か1km程の間に横一列に並び黒井川を挟んで黒井城に対峙しています。
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惣山城は丹波市指定天然記念物野村断層の丘陵部上に惣山城が在り、新池を挟んで東側にも断層崖の露岩を覗かせている低丘陵が続き、その山頂部の無線施設敷地に棚原城が在りました。なを棚原城は棚原地区にある尉ヶ腰城の別名でもありますが、城ヶ越城とは言われても棚原城とは殆ど呼ばれないし、奥野村と棚原の地区境に在って適名称がなさそうなので、三角点標名:棚原から棚原城の名が妥当と思えます。


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