棚原城 丹波市

断層崖上の城砦で紹介している野村断層のチャート(珪石)の岩脈が、明智光秀が黒井城攻めに陣を置いた茶臼山城の西方から県道69号線春日学園(特別支援学校)へと黒井盆地の南端を走っている。その間二つの低丘陵が貯水池(新池)を挟んで立つ。
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其の両サイドのには、緩やかな小さな岡には不似合いな?起立した岩が露出したチャートの断層崖が続く。西に「野村断層」とよばれる破砕断層面をみせる惣山・東側にも修験登山記念の祠や稲荷社が立つ点名:棚原に小丘陵があり、余り使用されないようですがケルン・バット(断層丘陵・分離丘陵)の呼び名もあり、城砦にするに適した自然の要害です。
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先ず棚原城に向かい史跡:野村断層に東側、向かいに断層崖を見・山上には無線の中継塔が立つ。通信施設で破壊された山上にも僅かに削平段や浅く短いながら辛うじて…堀切と確認出来る溝!!・何は無くとも主郭部西尾根側の断崖露岩に立てば、遮るもの無き正面には黒井城と千丈砦、手前に広がる黒井盆地に平城の野村城が…横並びには直ぐ下方に惣山城・其の向こうには茶臼山城と、明智方が築いたとされる黒井城付城群が続きます。


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