佐織城 舞鶴市
佐織池・佐織谷…「安寿と厨子王」の民話は一地域に留まらず東北・信越から丹後へ、安寿姫は丹後の「かつえ坂」で終焉を迎えるが厨子王は都(京都)へ、そして丹後へ…と民話・伝承の域を脱したロマンとスペクタクル。安寿は斃れた「かつえ坂」に近い下東地区に安寿姫塚として懇ろに祀られ、其の前に佐織池・宮津街道から
横堀や竪堀は無いが高い切岸で防備する…佐織城
由良川へと流れ出る小谷を「サオリ川」と呼ばれ・なにか床しい・または悲恋・悲話の伝承が眠っているような予感がする。この谷川と宮津街道(KTR宮津線)側に先端を落とす低丘陵上70mに佐織城があるが小説山椒太夫や民話の安寿と厨子王の具体的な背景や展開に比べ、周辺に点在する城跡は築城主等の伝承さえ不明。
南の尾根続きを此の堀切一本で遮断するだけ…!先の中山城も軍記等では天正期に沼田幸兵衛が居ますが、それ以前の築城年代や城主等城史は不明だが一色氏に前後して丹後守護山名氏・若狭武田氏の影が見え隠れする。佐織城が建部山城(八田城)の搦め手を守備する城砦の一つで細川氏との攻防には中山城の間近にあって、宮津街道筋・搦め手の蔵王峠等・中山城に通じる攻防には使用された城砦であったのでしょう。

横堀や竪堀は無いが高い切岸で防備する…佐織城
由良川へと流れ出る小谷を「サオリ川」と呼ばれ・なにか床しい・または悲恋・悲話の伝承が眠っているような予感がする。この谷川と宮津街道(KTR宮津線)側に先端を落とす低丘陵上70mに佐織城があるが小説山椒太夫や民話の安寿と厨子王の具体的な背景や展開に比べ、周辺に点在する城跡は築城主等の伝承さえ不明。
南の尾根続きを此の堀切一本で遮断するだけ…!先の中山城も軍記等では天正期に沼田幸兵衛が居ますが、それ以前の築城年代や城主等城史は不明だが一色氏に前後して丹後守護山名氏・若狭武田氏の影が見え隠れする。佐織城が建部山城(八田城)の搦め手を守備する城砦の一つで細川氏との攻防には中山城の間近にあって、宮津街道筋・搦め手の蔵王峠等・中山城に通じる攻防には使用された城砦であったのでしょう。


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