御願塚古墳 伊丹市

久しぶりの阪神間・尼崎から西宮を廻って帰る途中「つかしん」…の懐かしい文字を目にした。郊外の住宅街に珍しく関東の大型百貨店が進出してスッカリ周囲の様子が一変し、珍しさ半分で昔!!は幾度か訪れたが撤退を聞いて久しい…。新たな「つかしん」で食事後:以前にも寄った御願塚古墳に向う。阪急伊丹線稲野駅の西北100m程行くと県道(御願塚線)に面して平成11年頃に完成した御願塚古墳公園がある。伊丹に所縁の深い行基の像が車道に立つのも目印に!!。御願塚(ごがづか)古墳と読み御願塚古墳を主墳として付近は温塚(ぬくめづか)・掛塚(かかりづか)・破塚(やぶれづか)・満塚(みちづか)といった猪名野古墳群があり、此の五つの塚は「五ケ塚」(ごがつか)と呼ばれていた。
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何れも消滅?しているらしいので、御願塚古墳の西約800mに在る平塚古墳(方墳:安堂寺街6丁目!?…不明)・同じく御願塚古墳の南約700mに柏木古墳(周濠あり?:若菱町と柏木町境を探したが高さ6~7mの丘全体が墓地の円形丘陵部が墳丘部だったのかも?)を訪ねてみたが何れも壊滅・消滅したものか不明。
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市街地内に遺跡保存されているのは御願塚古墳以外は無さそう!!?。遺構・遺物が発見された分散地は無論・資料に何も残らない無名の古城跡は、市街地開発・宅地造成(空地もないほどに!!?)の進む中では ・此の地が地理・歴史的に・どんなところであったのか、存在していた事を知ることも無用と思えた。西南へ約2km程に在る尼崎・富松城も車道に面した藪中に土塁が残っていたが、今はどうなったか?貴重な遺構を残すよう働きかけは有った様ですが、保存状態等の現状を知らない…。


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