早瀬土人形 播磨上月
もう10年は経過したか!?、年1回のペースながら例年同じメンバーが集まっての山城ミニ・オフ 今年は兵庫西端の西播磨地方。当然ながら播磨赤松氏の地盤も但馬山名氏・中国毛利氏・天下統一には羽柴秀吉等との戦国時代の攻防の舞台となった上月(こうづき)町を訪れた。集合場所の上月歴史資料館。
資料館前から上月城への登山道が整備されているが、上月城が二つ(大平山古城と荒神山の本城)あることを観光案内等に記される事はなさそう?。上月合戦の本舞台となった荒神山上月城は山中鹿之介最後の戦場となったことで?クローズアップされているようです。合戦以外に城史を語る題材が少なく資料館の城関連は上月合戦関連説明パネルと城跡からの土器類破片が数点照明もないケース内に置かれているだけ。
「紙漉き」の道具や製品・実演もされていたが屏風や障子紙として使用される、厚手の紙の代名詞皆田紙。私の郷近く・多可郡(旧加美町)加美区に杉原紙があるが紙漉実演者に話しかける期がなかった。展示コレクションに早瀬土人形がある。兵庫県内の土人形では但馬関宮町の葛畑人形・稲畑人形と共に知られるが、稲畑人形を除き後継者もなく廃絶した。早瀬人形は明治の中頃から約30年にわたって作られてきたといい、時代背景から明治天皇・上官~兵卒等の軍人像等の軍事色濃い造型作品を珍しく注目した。

資料館前から上月城への登山道が整備されているが、上月城が二つ(大平山古城と荒神山の本城)あることを観光案内等に記される事はなさそう?。上月合戦の本舞台となった荒神山上月城は山中鹿之介最後の戦場となったことで?クローズアップされているようです。合戦以外に城史を語る題材が少なく資料館の城関連は上月合戦関連説明パネルと城跡からの土器類破片が数点照明もないケース内に置かれているだけ。
「紙漉き」の道具や製品・実演もされていたが屏風や障子紙として使用される、厚手の紙の代名詞皆田紙。私の郷近く・多可郡(旧加美町)加美区に杉原紙があるが紙漉実演者に話しかける期がなかった。展示コレクションに早瀬土人形がある。兵庫県内の土人形では但馬関宮町の葛畑人形・稲畑人形と共に知られるが、稲畑人形を除き後継者もなく廃絶した。早瀬人形は明治の中頃から約30年にわたって作られてきたといい、時代背景から明治天皇・上官~兵卒等の軍人像等の軍事色濃い造型作品を珍しく注目した。
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