仁位山城 播磨/佐用町

織田信長は天正5年(1577)羽柴秀吉に中国攻め初戦として:上月(こうづき)城主:毛利方赤松政範の攻略を命じ・作用川を挟んで上月城と対峙する仁位山に上月城包囲の付城を築き、安藤信濃守を入れて布陣し・秀吉は尾根続きの高倉城(赤松義則)を攻め取って此処を本陣としている。仁位山城から高倉山城を繋ぐ尾根上にも、
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上月城合戦時のものと思われる遺構が残る。これ等の遺構を探索しながら仁位山城~高倉山城を縦走往復してみる。先ず仁位山城は上月城登山口の上月歴史資料館前から:山頂の無線中継塔を目指して見土路集落からの林道を駆け上がる。この林道が仁位山城の必見特徴の畦状竪堀群を削いて横断しているので、
         林道北の谷側にも大きな竪堀が数条…
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山側斜面には輪切りされた竪堀群の断面を見ることが出来る…土塁壁状に畝幅を拡げず・谷筋も短いながら真直ぐ落とされ・埋もれ崩れてもいないので確認容易な20条程の竪堀が並ぶ一連部分は圧巻。林道の谷側にも4-5本の幅も深さもある長い竪堀が見られ:此処も当然畦状竪堀群…20連>程の畦状に圧倒される
          仁位山三角点峰(主郭!!)北の土橋付堀切
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北の最高地点(三角点石標が埋まる)が本丸のようで、此処の土橋付堀切も(季節によっては雑木藪で隠れてしまうためか?)、見過ごされる事は有るようです…!?
見学の後は林道を少し下ったところから、高倉山城へのトレースに出発します。 

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