段城 福知山市

レポートが前後して先に訪城した鳴岩城は後になっていますが、此の地が旦(だん)で、月輪城と鳴岩城が有り、旦ノ上の居館が月輪城なのかも知れませんが、居館が在ったと思える広い平坦地形の位置には、八十八ヶ所霊場巡り石仏群の完成を祝した大きな記念塔が建てられているだけ。
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地方誌によると居館の在った事は確からしい。此処:大油子地区には、ブログ紹介済みの西山城・秋葉城・熊野城・段城とこの後で紹介予定の菅谷城~奥山城が在る。大油子に大油子城と居館跡が在るというが、どの城を指すのか、未だ未発見の城が有るのか知らないが、段城が此の居館と思えます。土居・垣内等の名とともに、”段”の字名が残るところに居館が存在する例は多い。
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羽白城が段または段ノ奥にあり城主は藤本治郎左ヱ門とある!!。また大油子城は藤岡兵部(または?藤岡兵庫)の名がみえる。段城=羽白城なのか!?・城主名の段の名を充てたものかは不明です。居館というより丘城(館城)と呼べる規模の城です。一方:大油子城は熊野城か菅谷城ではないかと思えるのはいずれの城も単郭・小規模な山城だが、他の城と違い主郭を土塁が囲む縄張りを持ち菅谷城は竪堀さえ設けて防備している


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