比久尼城 綾部市五津合町

由良川の架かる新綾部大橋を渡るとR27号線に出て和知・南丹市方面へ右折する。山家陣屋・山家城のある山家交差点で府道1号線に入ると上林川に沿って走る道は以前:綾部温泉・二王の湯や、光明寺を経て君尾山・養老山・福井県境の三国山への登山口を目指した綾部小浜線。上林地区は上林川に沿って近畿でも有数、綾部市の約三分の二を占めるとも云われる広大な田園地帯。
          幅広い空掘と土塁が城域を二分する
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口・中・奥の三上林地区に分かれる中央部?に位置する八津合(やつあい)町・五津合(いつあい)町が中上林地区。登山が主目的で君尾山・養老山への途中に古城山(上林城)に立寄った。城主:上林氏が宇治に茶園を経営し・豊臣秀吉からは宇治茶頭取として宇治茶総支配を命じられ、徳川家光の代には宇治茶師を務めた一族と知った郷土の小さな城の城史にも驚きや意外性に興味尽きない…が、周辺の殆どの山城には城史不明・地元にも存在をご存知ないマイナーな城が多い。
           城域の三方を囲み廻るお簿曲輪
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上林中学校(目前:北西の低丘陵にも土塁囲い・堀切を持つ城砦有り)を過ぎ、府道51号を分けて府道1号・畑口川を渡った直ぐ北側に二つの城がある。集落側の比高約10m程・長さ約250m程の丘陵末端部を城域に比久尼城が在る。小城だが平坦地形の東西を中央部で・幅広い横掘(空掘)と分厚い土塁で城域を分け、南側を除き三方を帯曲輪が廻る。主郭の同規模の土塁?・土壇側を見るが市遺跡地図にみる皿田古墳群の墳丘と思われます。保元年間(1156-59)蔵持丹波守の築城を伝える古城で、其の居館・居城で在ったとも思えますが、縄張り特徴からは中世頃まで利用されてきたようで、在地領主以外の他勢力が光明寺等を攻めた際の陣城として改修されたものと推察するが?地域遺産を護る地区住民活動の中でも歴史を掘り起こす研究・成果に期待したいところです。


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