杉田玄白顕彰碑 小浜市
高速自動車道の無料実験開始から6ヶ年目にやっと舞鶴若狭自動車道を走ってみたが無料期間も後少し:行きたい処は山々(城々か?)
後瀬山トンネルを抜ければ其処は小浜城の前身:後瀬山城の登城口。遊歩道整備されている愛宕社先の畝状竪堀群も確認したいが…今回は残念。小浜市役所前に「杉田玄白記念公立小浜病院」があり正面玄関前に医服姿の玄白像が立つ。
病院名は江戸時代の蘭学医:西洋医学の先駆者として解体新書を著した杉田玄白が小浜藩であったことに起因するという。車道を挟んだ向いの中央公園には樹木に隠れるようにSLが展示保存され、公園の中央にも杉田玄白顕彰碑と二本差:堂々の立ち姿の銅像が立つ。顕彰碑が立っていたので玄白像かと思ったが、勤皇の志士で安政の大獄に獄死した梅田雲浜(人物詳細不詳・人の駅の案内説明が欲しいところ!!ですね)という。玄白は江戸牛込の小浜藩酒井家下屋敷に生まれ、幼少期(7~12歳頃まで)小浜で過ごしたが、以後は一度だけ(55歳の時)藩主に随行して若狭路に来ただけと云うが。
玄白の像ではなく尊王攘夷派の梅田雲浜の像でした。
海と陸の要衝地に近世城郭:小浜城を創築し、町割りを行った京極氏の名は余り示されず、その後に入封された酒井忠勝一色の案内標が目立ち過ぎ‥!!。徳川将軍三代に仕え、老中・大老職を歴任し、将軍を補佐した幕府の重鎮。それだけに常に江戸幕府に出仕し、藩主として小浜に帰る事は少なかった様です。有名な人物だけに顕彰は地元:小浜に残した足跡を知りたいところですが。

後瀬山トンネルを抜ければ其処は小浜城の前身:後瀬山城の登城口。遊歩道整備されている愛宕社先の畝状竪堀群も確認したいが…今回は残念。小浜市役所前に「杉田玄白記念公立小浜病院」があり正面玄関前に医服姿の玄白像が立つ。病院名は江戸時代の蘭学医:西洋医学の先駆者として解体新書を著した杉田玄白が小浜藩であったことに起因するという。車道を挟んだ向いの中央公園には樹木に隠れるようにSLが展示保存され、公園の中央にも杉田玄白顕彰碑と二本差:堂々の立ち姿の銅像が立つ。顕彰碑が立っていたので玄白像かと思ったが、勤皇の志士で安政の大獄に獄死した梅田雲浜(人物詳細不詳・人の駅の案内説明が欲しいところ!!ですね)という。玄白は江戸牛込の小浜藩酒井家下屋敷に生まれ、幼少期(7~12歳頃まで)小浜で過ごしたが、以後は一度だけ(55歳の時)藩主に随行して若狭路に来ただけと云うが。
玄白の像ではなく尊王攘夷派の梅田雲浜の像でした。

海と陸の要衝地に近世城郭:小浜城を創築し、町割りを行った京極氏の名は余り示されず、その後に入封された酒井忠勝一色の案内標が目立ち過ぎ‥!!。徳川将軍三代に仕え、老中・大老職を歴任し、将軍を補佐した幕府の重鎮。それだけに常に江戸幕府に出仕し、藩主として小浜に帰る事は少なかった様です。有名な人物だけに顕彰は地元:小浜に残した足跡を知りたいところですが。


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