遠阪城 丹波市
丹波市の”丹波八宿 青垣の秋”の行われた11月3日は、丹波市最奥・但馬国境の遠阪峠にむかう遠阪集落の先、R427号を分けて今出親水公園へ左折すると、今出裸祭りが行われる熊野神社があります。秋の大祭の今日は無料のシャトルバスが佐冶のメイン会場から出ているので利用させてもらいます。
二連の竪堀
5~6年前遠阪城の存在を知っていたので山城ついでの山行で、オオジャレ~粟鹿山(粟鹿峰)へ往復縦走した。あまりにも急峻な谷と枝尾根上の遠阪城を、尾根末端から取り付くには危険なほど。今回は裸祭りに合わせた無料のシャトルバス利用なので谷筋から城址の往復だけを考えます。とは言っても此の山城の手強さは、殆ど訪城の記録を見ない要害。
主郭南下から土塁を挟んで三重の堀切が防備を堅める親水公園「今出せせらぎ園」背後から鹿猪除けフエンス沿い谷筋の山道を利用するが谷筋は城址とは離れ・山道は消え胸突く激急斜面と悪戦苦闘して主尾根に登り着く。主尾根から城址に向かう枝尾根も、足を掬う急斜面。草木の手懸りでもなければ、下方の尾根筋が定まらない斜面を降るのは至難。
南郭の南端:土橋と二条の<下方で一本となる>片堀切谷入口の麓からも城址までは急登。この様な要害の枝尾根中程に比較的平坦な地形が続く。広い所で幅10m足らずの尾根上に単純に曲輪を並べるだけの山城だが東斜面には竪堀・細長い尾根筋を削り落した「超」の字が附く程の大竪堀は深く・長く斜面を落ちる。しかも下草・羊歯類もなく疎林の中ではそのスケールを充分観察でき、主郭から南には尾根筋を三重連の堀切で固めた遺構とともに土の城の遺構が楽しめます。

二連の竪堀
5~6年前遠阪城の存在を知っていたので山城ついでの山行で、オオジャレ~粟鹿山(粟鹿峰)へ往復縦走した。あまりにも急峻な谷と枝尾根上の遠阪城を、尾根末端から取り付くには危険なほど。今回は裸祭りに合わせた無料のシャトルバス利用なので谷筋から城址の往復だけを考えます。とは言っても此の山城の手強さは、殆ど訪城の記録を見ない要害。
主郭南下から土塁を挟んで三重の堀切が防備を堅める親水公園「今出せせらぎ園」背後から鹿猪除けフエンス沿い谷筋の山道を利用するが谷筋は城址とは離れ・山道は消え胸突く激急斜面と悪戦苦闘して主尾根に登り着く。主尾根から城址に向かう枝尾根も、足を掬う急斜面。草木の手懸りでもなければ、下方の尾根筋が定まらない斜面を降るのは至難。
南郭の南端:土橋と二条の<下方で一本となる>片堀切谷入口の麓からも城址までは急登。この様な要害の枝尾根中程に比較的平坦な地形が続く。広い所で幅10m足らずの尾根上に単純に曲輪を並べるだけの山城だが東斜面には竪堀・細長い尾根筋を削り落した「超」の字が附く程の大竪堀は深く・長く斜面を落ちる。しかも下草・羊歯類もなく疎林の中ではそのスケールを充分観察でき、主郭から南には尾根筋を三重連の堀切で固めた遺構とともに土の城の遺構が楽しめます。
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