松倉城 丹波市

延喜式山陰道(出雲道)の丹波最後の駅屋(”うまや”の佐冶宿)から遠阪峠を越えて但馬に向かう街道筋(R427号線)沿いには全国「足立」姓の元祖足立左衛門尉遠政が築いた本拠城山垣城とその城塞群が点在している。
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以前に紹介した余りにも峻険山城の遠阪城・峠に差し掛かる【今は北近畿自動車道が遠阪トンネルに向い街道筋(R427号)を高架で跨ぐ】付近には、三方の尾根筋に堀切・竪堀を備えた曲輪を配置した田ノ口城の外、北近畿自動車道建設工事で消滅した幾つかの城砦が、其城の山垣城を囲んで守備しています。
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殆どの城は遠阪川と併走する街道筋(R427号)とは遠阪川を挟んで東側(左岸)に在りますが、此の松倉城だけ?は右岸の丘陵尾根先に在って、街道筋を眼下に監視出来る位置にある。山上に秋葉社を祀る10X15m程の平坦地が主郭で背後を土塁と堀切で遮断する単郭の極小規模の砦だが山麓の谷間には広い削平段が有る。田畑や造林のための造成だけとは思えない!?。松倉城(砦)や対岸の中ノ谷城(消滅?)・中佐治城(消滅)・田ノ口城・山垣城へと、いずれも至近距離内にある諸城とは対岸に在って、有事の際の派兵・分配配置の要もあり、足立氏一族の家臣団武家屋敷?や駐屯地ではなかったか?。もっとも太平洋戦争時等の食糧難には民家のすぐ裏手にあり・畑地等に開墾・転用はされていたのでしょうが…


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