天神ノ尾城 三田市
三田市大原地区には「お姫山城」の別名を持つ大原城があり主郭に祀られる姫山神社には武庫川を挟んで南に在る貴志城に嫁いだ大原城のお姫様の伝説が残る。姫君の父は:鎌倉時代の文永年間(1264-73)頃:紀伊国近衛家の公卿で藤原(大原)上野守宗隆といい大原の里に住み姓を大原と改称し此の上野守宗隆を先祖とする
長い黒塀と生垣に周囲を囲まれた豪壮な屋敷があった。以前のブログ大原邸で店名は伏せて紹介した純和風レストランに改装されているが、その前も料亭だった所。平日でも女性客に人気のお店を出て隣接する大歳神社の裏手に続き山道は直ぐ丘陵尾根の南端部を分ける様な空堀と大土塁で囲まれる平坦地形に着く。天神ノ尾城と旧資料には城名があるが、
土塁に囲まれた主郭内部も崩れ埋まってか判然としないが2~3区画はされている様だ!!三田市史等・教育委員会資料では明確な城遺構とも云えない判然としない縄張り構成や遺構は天神ノ尾遺跡として載せてあり、市史にある縄張り図からも単郭とされる城域外の緩斜な北尾根筋に曲輪跡と思える平坦地・櫓台状土壇?も見るが防備・警護の設備としては機能を果たし切っていない中途半端さに疑問が残る‥

長い黒塀と生垣に周囲を囲まれた豪壮な屋敷があった。以前のブログ大原邸で店名は伏せて紹介した純和風レストランに改装されているが、その前も料亭だった所。平日でも女性客に人気のお店を出て隣接する大歳神社の裏手に続き山道は直ぐ丘陵尾根の南端部を分ける様な空堀と大土塁で囲まれる平坦地形に着く。天神ノ尾城と旧資料には城名があるが、
土塁に囲まれた主郭内部も崩れ埋まってか判然としないが2~3区画はされている様だ!!三田市史等・教育委員会資料では明確な城遺構とも云えない判然としない縄張り構成や遺構は天神ノ尾遺跡として載せてあり、市史にある縄張り図からも単郭とされる城域外の緩斜な北尾根筋に曲輪跡と思える平坦地・櫓台状土壇?も見るが防備・警護の設備としては機能を果たし切っていない中途半端さに疑問が残る‥


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