香良城Ⅱ 丹波市

関西圏の山城フアンにも馴染薄い様で香良城の名を・まして山城を訪れる方は少ないかも…しかし丹波の戦国史/とりわけても氷上郡内最大規模の激戦となった香良合戦。其の主戦場となったと思われているのが香良城?。信長の「丹波国攻略」黒井城攻めに一度は明智光秀を追返した黒井城主:荻野悪右衛門直正は"丹波の赤鬼"の異名で知られ此れまで連戦連勝で負け知らずの猛将だが、香良合戦には
     香良城の二重堀切(外側)の竪土塁/堀切
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重傷を負い自領の春日領内に引き揚げている。弘治元年(1555)細川晴元側の赤井氏・荻野氏一族と、細川氏綱方の芦田氏(沼城主等)・足立氏(山垣城等)連合軍が香良に集結した戦闘で、三好長慶・松永久秀の援軍を待ったが救援に来ず…時遅く?芦田・足立軍は殆んどが戦死、赤井・荻野一族も戦勝とは云えない状況。細川氏の内紛に躍らされ双方に獲るところない無益な戦いに終った…とされるのが通説。
     香良城主郭:露岩を切岸に取込んだ帯曲輪(西面)
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足立氏は全国足立姓の祖:足立遠政の山垣城があり荻野氏・赤井氏は芦田氏から分かれたとされる同族ですが?。青垣町栗住野の[祖父祖父堂]は柏原本陣の明智光秀による取調べで処刑された地侍の供養とされますが香良合戦による足立氏・芦田氏の戦死者を祀ったものとも云われます。
  三ノ丸曲輪から望む西岩山(香良城主郭)
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激戦もさることながら・此の香良城も露岩の鎧を纏う峻険な・というより断崖上に築かれた鉄壁の山城。五台山へ続く北東方の尾根筋を除き三方は急斜面・名勝:独鈷ノ滝、岩瀧寺へ向かう車道から望む岩を抱く西岩山(香良城)西面の山容からも山城の倹しさが想像できます。


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