八幡山段城 丹波市青垣町

但馬国境近い丹波市最北の宿場:佐治宿から向かうR427号が遠阪峠を但馬:朝来市に越える。現在では遠阪川を挟んでR483号(北近畿豊岡自動車道)が東面の丘陵麓を縫って併走する。連続するトンネル群に山垣トンネルがあり、山垣城の直下を抜けてゆく。足立一族の元祖で武蔵国足立郡を領し、北条氏に仕えた豪族久保田(足立)遠元が足立姓を名乗ったと云われ全国足立家の遠祖とされています。
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丹波へは承元3年(1209)佐治郷に地頭職を得て足立遠政が入部し、その後: 山垣城を本拠城として周囲には数多くの城砦群が築かれ、足立一族の諸氏を置いて守備警護します。北近畿自動車道の工事により幾つかの城砦が発見され調査後は壊滅・消滅している、過去の県・氷上郡内の遺跡分布地図にも、
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郷土誌等関連資料にも城の存在を見ないが手つかずの・しかも保存状態の良い城郭が存在していました。唐鍬古墳(青垣町指定)に寄った際にも訪れた八幡神社の背後に此の山城八幡山段城(八幡ヶ段城)<仮称>がある。
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R427号線沿いに北へ小さく浅い丘陵部谷間を挟んで僅か300m程には単郭の松倉城が在るが、此の城が八幡山段城の砦城かと思えるほどの中規模城だが、縄張りは兵庫丹波の城では余りお目にかかれない堀切?。主郭櫓台大土塁背後の掘切は、尾根左右の竪堀となって斜面に落ち込む両端部が土橋状で堀切というより空堀に見える。何よりも土橋部分に石積が観られる特異な縄張りを知らない。
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遺構が果たして足立氏の城なのか?、足立遠元の叔父に足立(安達)藤九郎盛長がおり、陸奥の安達郡(青森県!?)を領した足立一族が中世後期・理由不明ながら丹波に来住していたとすれば…!!?。近畿の城郭もよく知らないので他県の城の縄張りは想像も出来ない?。小さな部分だが見慣れない遺構に興味は湧くが、蒐集・分析資料もなく知識も乏しく好奇心だけでは築城主や城史の追求も出来ないもどかしさだけが残る。


この記事へのコメント

イッシー
2011年10月20日 21:53
天々さんこんばんは。猪名川のイッシーです!!やはり堀切があると山城跡という雰囲気が味わえますね!!お話は変わりますが川西市見野に見野城跡があるという情報を入手致しましたのでご連絡させていただきました!自分の私見推定地ですが東谷中付近にある神社が怪しいと思っています!それか東谷中の敷地内かもしれません!ちょうど丘になっていますので!

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