熊野神社・裸まつり 丹波市青垣町

青垣町佐治(兵庫丹波最北端の旧宿場町:佐治宿)は、延喜式山陰道の丹波最期の旧宿場町。「文化の日」に併せて丹波八宿”たらふく街道”のイベントが丹波紅葉三山高源寺の山開き熊野神社の裸まつりに合わせて三ヶ所を結ぶシャトルバスも運行されます。丹波八宿イベントは昨年・今年は”青垣の秋”と題され、今後は恒例行事の名として定着するのでしょうか?
  舞堂に入った男衆達は後陣の男衆の侵入を阻止する!!
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自然・観る・文化・歴史・展示・遊ぶ・産業・食をテーマに催されるイベントは2年前は生憎小雨模様の半日・前日からの冷え込みは佐治川上流の粟鹿峰(粟鹿山)三国山(三国岳)に初冠雪が有り、佐治郷からも粟鹿峰の初雪が望まれた(2009.10.03)。昨年の当日は開催時間前まで雨…会場側の小学校の臨時駐車場が利用出来なかったが今年は前日まで真暑日が続き・この日も上天気。
  今出川で身を清めた男衆は駆け足で舞堂を目指すが
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旧宿場町で行われるイベント会場から飛脚リレーがスタートする前にシャトルバスで、丹波の奇祭”はだかまつり”が行われる熊野神社(今出の権現さん)に向かう。地元でも”権現さん”とは呼ばれないようですが、今出の語源”いま出たぞ…”となった岩の祠が井尻山八合目付近に有って、鎌倉時代当初は此処に紀伊熊野神社からの分霊を遷移し祀られていた所。  
  男衆達は舞堂と本殿の間を7回半駆け足で往復する
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熊野神社の100m程先に今出川親水公園の”せせらぎ園”があり普段なら蕎麦には定評があり、寄ってみたい処です。背後の丘陵尾根には遠阪城の長く深い竪堀群の遺構がのこる。熊野神社(今出の権現さん)の静かな佇まいの中に、真直ぐ伸びる杉や銀杏(お葉付きイチヨウも見られる)の巨木や社殿の繊細豪華な彫物・苔むした狛犬像も今日ばかりは一寸落着かない感じ!!。
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「命神」ともいわれる熊野神社は丹波と国境を分ける但馬境の遠阪峠を降ってきた今出集落にあり、但馬はむろん播磨・摂津方面からも大病をしたり健康がすぐれない人達が平癒祈願に参拝されていた。祈願して病が全快すると例祭には、元気になった事をヨイサ・オイサと掛け声も勇ましく、裸になってぶつかり合いアピールするのが習わしとか。本殿と舞堂の間を7回半駆け足で往復しその間にも2陣・3陣・4陣と今出川で身を清めた男衆が数人ずつ、駆け足で舞堂に到着。
 神宝奉還神事:御幣を先頭に裃姿の地区役員・神主・その後に男衆が舞堂を3回廻る
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舞堂に入ろうとする男衆達を先に舞堂に入っている男達が侵入を阻止しようと此処でも揉み合う。多勢に無勢なので数分後には防禦は解かれる様です。当初は素裸に七五三の注連縄を腰に張っての”おおらか”な神事奉仕も、近年ではそうもいかず。賑やかな掛け声・裸の少年・若者達<中に80ウン歳?の元気な参加者もあり>が舞堂で、本殿前で激しくぶつかり合う姿に、祭神・伊弉冉命(イザナミ)姫は目を細めて喜んでいるのかも? 。
 フィナーレは御幣を奪い合い身の守りとして、無事に過ごせるようにと持ち帰る
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クライマックスは社殿を出る神を迎える神宝奉還の神事で、拝殿内にいた神主・袴姿の地区役員等が石段を下り、御幣をもった人を先頭に・後に裸衆がついて舞堂を3回廻った後、御幣を持った人が舞堂から本殿へ駆け上がり、裸の男衆が追いかけ、本殿前で御幣を奪い合い、此れを身の守りとして・この一年を無事に過ごせるようにと持ち帰ります。


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