清普寺(能勢氏菩提寺)
丹波篠山方面からR173号線(能勢街道)を豊能郡へ下りてくると、山麓や辻々には「南無妙法蓮華経」の石碑がやたら目に付く。丹波側では三田・永沢寺の通幻禅師や高源寺の遠渓禅師等名僧に傾倒して多くの寺や檀徒が曹洞宗に改宗されている様ですが、能勢地方は当然:能勢妙見宮を中心としての日蓮宗が殆んど?とも思えるほど。
大阪府豊能郡能勢町は平安時代中期:清和源氏頼光の子賴国が能勢田尻荘に入部し能勢氏を名乗ったとも鎌倉時代中期:清和源氏(多田源氏)満仲系の国基とする説もあるが、能勢氏の本拠地として築かれたのが丸山城【能勢城・丸山古城・地黄古城】という。
幾度も侵攻・小競合いが続く宿敵:塩川氏に丸山城や田尻城は落城し能勢地方は塩川氏支配となっていた。後:秀吉の九州遠征に従軍の留守中に塩川氏が能勢に侵攻したため、秀吉から報復の許可と片桐且元・池田輝政等の追討軍を得て旧領を回復し、能勢氏中興の祖とされるのが賴次です。清普寺へ向かう田圃を隔てた北方の丘陵が丸山城。其の大手道の登城口には多田源氏の祖:源満仲<能勢氏の祖>の碑とされる南北朝期の宝筺印塔・鎌倉時代の石造九重塔が、寺への参道車道からも見える。
慶長6年(1601)法華経に帰依していた能勢賴次が京都本願寺第十三世貫主寂照院日乾上人を開山に創建した無漏山真如寺(能勢妙見宮)を中心に、日蓮宗の寺々が建てられたが、清普寺も賴次の父:賴幸の菩提を弔うため寂照院日乾上人の弟子・日然を開山に創建され、境内には能勢氏歴代の城主・一族の五輪塔・宝筺印塔が整然と並ぶ。

大阪府豊能郡能勢町は平安時代中期:清和源氏頼光の子賴国が能勢田尻荘に入部し能勢氏を名乗ったとも鎌倉時代中期:清和源氏(多田源氏)満仲系の国基とする説もあるが、能勢氏の本拠地として築かれたのが丸山城【能勢城・丸山古城・地黄古城】という。
幾度も侵攻・小競合いが続く宿敵:塩川氏に丸山城や田尻城は落城し能勢地方は塩川氏支配となっていた。後:秀吉の九州遠征に従軍の留守中に塩川氏が能勢に侵攻したため、秀吉から報復の許可と片桐且元・池田輝政等の追討軍を得て旧領を回復し、能勢氏中興の祖とされるのが賴次です。清普寺へ向かう田圃を隔てた北方の丘陵が丸山城。其の大手道の登城口には多田源氏の祖:源満仲<能勢氏の祖>の碑とされる南北朝期の宝筺印塔・鎌倉時代の石造九重塔が、寺への参道車道からも見える。
慶長6年(1601)法華経に帰依していた能勢賴次が京都本願寺第十三世貫主寂照院日乾上人を開山に創建した無漏山真如寺(能勢妙見宮)を中心に、日蓮宗の寺々が建てられたが、清普寺も賴次の父:賴幸の菩提を弔うため寂照院日乾上人の弟子・日然を開山に創建され、境内には能勢氏歴代の城主・一族の五輪塔・宝筺印塔が整然と並ぶ。
この記事へのコメント
大変ご無沙汰しております。
清普寺にある能勢氏のお墓、たくさん並んでいる巨大な墓石に圧倒されますよね。
前に城仲間と訪ねた時に、その方は、お墓の入り口で身動きできなくなってしまいました。
今年、眼の病気になり、今までのようにはお城を訪れる事が出来なくなりました。
来年はリハビリのつもりでボチボチと好きな城を訪ねて行きたいと思ってます。
遅くなりましたが、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
丹波市のオフは YORIさん向け?に 比高も低く腰・膝の負担の少ない陣城を主にピックアップしていたのですが 参加も適わず 残念でしたね。眼の病気とか…!! 以前から不都合を伝えられていた様で心配しておりましたが 大事は無いですか?
能勢は猪名川・川西と YORIさんのホームグラウンドでしたね
天王峠越えの越境で 丸山城・地黄城等 再訪の城を更新中です。
コメントありがとうございました
私も今年は少し寂しい年の瀬になりましたが
お互い 良い年が迎えられることを願っています