東中城 Ⅱ丹波市
春日ICから野村城の東側を通り、三尾山の東山麓・県道69号線を栗柄峠に向かう街道筋は、黒井城主:荻野直正と明智方に付いた八上城主:波多野秀治の謀叛による”呼び込み戦法”に、明智光秀が命からがら栗柄峠・鼓峠を越えて逃れた道。この街道筋には荻野・赤井等領主の諸城の他、この戦いに波多野氏が明智方に付いている様に・赤井氏等を押さえて氷上郡を領した一時期があり、波多野秀治の義弟:二階堂秀香の城も三井庄に在った。
副郭櫓台から土塁を挟む二重横堀・左手下方に虎口!)
荻野直正の弟幸家の三尾城への街道筋からの登山口に丹波大納言小豆発祥の地の石碑が立つ。丹波大納言・なかでも”黒莢(さや)”は東中地区の一部でのみ栽培されている超稀少ブランド。此のブランド栽培耕作者の一人と春日町公民館で話す機会があった際に城址の事を聞いてみた。東中池の近くに城があることは知らなかったが地元で古城の名が残ることを聞いた。
主郭櫓台から副郭に入る虎口と副郭櫓台に有った洞跡の石材東中池の北から西にかけての一帯は河津館跡として発掘調査された所だが、僅か100m程に目を見張る中世山城遺構が眠っていた事に驚愕。埋蔵文化財分布調査書の分布地図を頼りに出掛けた東中城に遺構はなく・自動車道工事関連で火山城同様に消滅したものか?…河津館前の東中池から東中集落に向けて延びる比高20m程の半独立超低丘陵に遺構があり東中城に比定出来る。
副郭から主郭の高く急な切岸縄張り等の詳細は省略するが下記のブログやHPを参照してください。主郭と副郭に腰曲輪等小曲輪が付くがほぼⅡ郭からなり両郭には櫓台と思える土檀もある中規模城郭ですが、堀切から北・東端へ廻り込む横堀や土塁を挟んで一部二重堀切・Ⅱ郭間に入る虎口・南面の竪堀と竪土塁…等は丹波市内の城砦群に余り見かけない特異な縄張り遺構。
東中城主郭南西端の竪堀と竪土塁赤井氏家臣の河津氏館と其の詰城か?とも思えるが、郷土史ではないので!?、河津館について河津氏や居館の報告資料からは関連不明。旧氷上郡や現:県の遺跡分布地図等の公式資料にも未記載の城。
東中城と河津館 http://kirinosato.fc2web.com/TANBAkouzukan-siro.htm#kouzu

副郭櫓台から土塁を挟む二重横堀・左手下方に虎口!)
荻野直正の弟幸家の三尾城への街道筋からの登山口に丹波大納言小豆発祥の地の石碑が立つ。丹波大納言・なかでも”黒莢(さや)”は東中地区の一部でのみ栽培されている超稀少ブランド。此のブランド栽培耕作者の一人と春日町公民館で話す機会があった際に城址の事を聞いてみた。東中池の近くに城があることは知らなかったが地元で古城の名が残ることを聞いた。
主郭櫓台から副郭に入る虎口と副郭櫓台に有った洞跡の石材東中池の北から西にかけての一帯は河津館跡として発掘調査された所だが、僅か100m程に目を見張る中世山城遺構が眠っていた事に驚愕。埋蔵文化財分布調査書の分布地図を頼りに出掛けた東中城に遺構はなく・自動車道工事関連で火山城同様に消滅したものか?…河津館前の東中池から東中集落に向けて延びる比高20m程の半独立超低丘陵に遺構があり東中城に比定出来る。
副郭から主郭の高く急な切岸縄張り等の詳細は省略するが下記のブログやHPを参照してください。主郭と副郭に腰曲輪等小曲輪が付くがほぼⅡ郭からなり両郭には櫓台と思える土檀もある中規模城郭ですが、堀切から北・東端へ廻り込む横堀や土塁を挟んで一部二重堀切・Ⅱ郭間に入る虎口・南面の竪堀と竪土塁…等は丹波市内の城砦群に余り見かけない特異な縄張り遺構。
東中城主郭南西端の竪堀と竪土塁赤井氏家臣の河津氏館と其の詰城か?とも思えるが、郷土史ではないので!?、河津館について河津氏や居館の報告資料からは関連不明。旧氷上郡や現:県の遺跡分布地図等の公式資料にも未記載の城。
東中城と河津館 http://kirinosato.fc2web.com/TANBAkouzukan-siro.htm#kouzu




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