僧・意春と経塚 丹波市
幻の氷上城が何処に在ったか?その初代城主:波多野宗高が実存した人物なのか謎。霧山が其の氷上城とされるが初期調査によるものか不詳だが確かな城遺構も無く疑問視されていた…?。もう一つの氷上城と思える(ガンジョウジ城)からの尾根続き末端に宗春(宗高?)の首塚を祀る波多野神社がある。市辺の西北から何ヶ所か採鉱の抗口が開く激急斜面から、今回は霧山登山口の二宮神社から…と5度目の訪城だが未だ単に登山の延長。
経塚を納める堂と経塚内石龕の後壁板及び説明板二宮神社には丹波では最大と云われる経塚が在る。縦 ・横共に3間(5.4m)/高さ約1間(1.7m)四方の石垣が積まれその中には法華経の経文を一石一字に書いたものが埋納された経塚です。塚の頂部には石仏や石碑が祀られているのが見えます。正面中央の凹部には石龕が安置されていたらしく、其の後の石の壁板の銘文から江戸時代当初の元和9年(1623)11月・願主観音寺の僧意春が由良の城主でもあった播州源朝臣別所豊後守吉治の支援により建立された事がわかっています。
堂内の経塚石垣と石仏・石碑等…伝承では三木城主別所長治の菩提寺観音寺の住職:意春上人は長治の子別所吉治と丹波路に落ちて此処:市辺に辿り着き、境内に観音堂を建てて住まい…云々という。【只:吉治は三木城主:長治の子ではなく秀吉軍に付いた叔父:重棟の子】
経塚を納める堂と経塚内石龕の後壁板及び説明板二宮神社には丹波では最大と云われる経塚が在る。縦 ・横共に3間(5.4m)/高さ約1間(1.7m)四方の石垣が積まれその中には法華経の経文を一石一字に書いたものが埋納された経塚です。塚の頂部には石仏や石碑が祀られているのが見えます。正面中央の凹部には石龕が安置されていたらしく、其の後の石の壁板の銘文から江戸時代当初の元和9年(1623)11月・願主観音寺の僧意春が由良の城主でもあった播州源朝臣別所豊後守吉治の支援により建立された事がわかっています。
堂内の経塚石垣と石仏・石碑等…伝承では三木城主別所長治の菩提寺観音寺の住職:意春上人は長治の子別所吉治と丹波路に落ちて此処:市辺に辿り着き、境内に観音堂を建てて住まい…云々という。【只:吉治は三木城主:長治の子ではなく秀吉軍に付いた叔父:重棟の子】
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