幻の氷上城「霧山城」 丹波市

霧山城初代城主として波多野宗高?が登場する。多紀郡八上城の波多野に対し氷上郡に西波多野氏が天文3年秋(1534)丹波へ来住し天文7年(1538)氷上城を築き西波多野氏本拠とした?が突然領有地もなく所縁のない此の地に来住!?…八上波多野氏とは親戚筋とされるが詳細不詳。
       霧山東尾根:土橋付堀切
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宗高は盟友の越前朝倉氏を救援するかたちで信長軍と対戦し敗死したとされる伝承は史実に合わない…という。しかし戦後:家臣の手で持ち帰られた首が首塚として霧山北裾の波多野神社に祀られ、大正4年(1915)大正天皇の御大典のとき贈られた彰徳碑「贈従三位波多野宗高碑・大正6年 3月建立」が立つ…が実在不詳の人物。        霧山登山道の露岩から北近畿豊岡自動車道の氷上ICを望む
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波多野氏菩提寺がない事・中世後期の城なのに縄張り遺構が曖昧な為、幻の氷上城とされますが宗高・宗長の父子二代の本城という。宗長は丹波攻めに玉巻城の久下氏を救援し丹羽長秀軍と戦うが落城:自刃します。正親町天皇即位に際しては皇室が衰え御大典の式も挙げられない窮状を知った宗高は、中国の毛利元就の誘いを受けて八上城の波多野秀治・北陸の朝倉義景等と資金を集め、
       霧山城:主郭南面に二段の帯曲輪(二段目から)
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永禄3年 (1560)1月に御大典の式には荻野直正はじめ丹波の諸城主や毛利元就の子・小早川隆景等と京都の警護にあたり、無事に式典を終えその上御殿までも改築したという。この忠勤により宗高と秀治は正四位・侍従の位と桐の御紋の旗を賜り面目を施こしたといいます。霧山は此の桐の転じたものか?。
     霧山山頂主郭:北西から東南面へと廻り込む帯曲輪と上り土塁状?(手前)
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県遺跡分布図の霧山城は城ではない否定説もあるが霧山こそ幻の氷上城…!!。霧山から南へ伸び出す尾根上に野山城ーR176号が抜ける城山トンネル上に横田城)があり此が氷上城>とも。明智の援軍・羽柴秀長軍の陣城となったものか!?。霧山城の山頂部付近西・西北面は天険の要害。東尾根筋に一本の埋もれかけた土橋付き堀切?・主郭部の削平は甘いが広く、山頂主郭の南面には二段の帯曲輪・北西・西南・東南面に数段の曲輪もあるのだが…!?


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