祢布城 豊岡市日高町

宵田城の在る城山トンネルを抜けたR312バイパス道はR482と合流する「岩中交差点」に出る。”天平の径”が延びる奈良時代の但馬の中心地:国府が在り聖武天皇が国分寺を建立した地。
      但馬国分寺跡:中央礎石は塔跡の礎壇
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此処に祢布<ニョウ>城(の古名を充てて禰布城の名もある)が有り、バイパス道が国分寺トンネルに入る手前で左折して祢布(ニョウ)地区の楯石神社に向かう。神社参道の急な石段上からの山道を辿れば大堀切に達し、
        大堀切から見上げる祢布城主郭
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東面の高い切岸(約10m程)上に祢布城の主郭を見る。南北朝期の城主:高田貞長は旧高田郷の地名を姓とした在地の国人領主の様だが山名氏に滅ばされた様で以後の城史にも詳細は不明…現状の城遺構(堀切・切岸加工された曲輪と土塁、
   主郭から堀切側土塁(手前)と西北角の腰曲輪
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竪堀らしいものは有る様?だが未確認)からは、中世頃まで稲葉川とは南に呼応する宵田城の支城群として、国分寺城等と共に但馬守護代:垣屋氏一族・庶流の城として要衝監視・守備の任に当たったものか…!?。
    大堀切を挟む西尾根は古城跡か?単に緩衝帯か?中央は曲輪を仕切る堀切か?
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