盃状穴 丹波市
延喜式内社高座神社は,今は廃れたとはいえ養蚕と土木技術を此の地に伝え広めた阿利氏(秦氏とは婚姻関係にあり…!?)を称え祀ったといわれ阿利氏が”蟻の伝説”となったものか”蟻の宮”とも呼ばれ、古くは養蚕で栄えた地で”蚕の宮”とも呼ばれています。此の神社に奉納されている綿貫重吉(丹波佐吉の弟子)の狛犬がユニーク。
青垣町東芦田は細見綾子の出生地で「でで虫<かたつむり>が 桑で吹かるゝ秋の風」等の句碑が立つ。神社の本殿・社務所に向う石段参道の分岐(踊り場)からの石垣や足下の石段に注目です。御神徳を仰ぎ「蟻の宮・蚕の宮」として崇められてきた。人々が悩み・苦しいとき神社に参拝し:祈り願を掛けるがその折・手水鉢や石燈篭の台石・階段の踏み石等にノミで穴をあけて祈ったと云われ、
また其の穴に油を注ぎ祈ったとも…其の証が今も盃状穴(はいじょうけつ)として残っており 赤くマーキングされているものもあります。病気治癒や子宝に恵まれ子孫繁栄や死者の蘇生をも願い、再生や不滅のシンボルとして信仰されてきた盃状穴は、神社や寺院の境内の置き石や手洗い鉢の縁・灯籠の台石等々に彫りつけられている小さな窪みで、直径も深さも数センチ・小さな盃状の形状から盃状穴と呼ばれ、古墳の石棺蓋石からも発見されている。
全国に遺される盃状穴の信仰は明治維新後も残り、昭和初期まで造られていたと云われますが、この様な信仰・風習・風俗等に関しては、宗教や民俗学的にも・未だ解明されていず、加えて追求・研究されている人も少ないようで忘れられた信仰の石盃状穴は其の存在さえも見失われそうです!!!
青垣町東芦田は細見綾子の出生地で「でで虫<かたつむり>が 桑で吹かるゝ秋の風」等の句碑が立つ。神社の本殿・社務所に向う石段参道の分岐(踊り場)からの石垣や足下の石段に注目です。御神徳を仰ぎ「蟻の宮・蚕の宮」として崇められてきた。人々が悩み・苦しいとき神社に参拝し:祈り願を掛けるがその折・手水鉢や石燈篭の台石・階段の踏み石等にノミで穴をあけて祈ったと云われ、
また其の穴に油を注ぎ祈ったとも…其の証が今も盃状穴(はいじょうけつ)として残っており 赤くマーキングされているものもあります。病気治癒や子宝に恵まれ子孫繁栄や死者の蘇生をも願い、再生や不滅のシンボルとして信仰されてきた盃状穴は、神社や寺院の境内の置き石や手洗い鉢の縁・灯籠の台石等々に彫りつけられている小さな窪みで、直径も深さも数センチ・小さな盃状の形状から盃状穴と呼ばれ、古墳の石棺蓋石からも発見されている。
全国に遺される盃状穴の信仰は明治維新後も残り、昭和初期まで造られていたと云われますが、この様な信仰・風習・風俗等に関しては、宗教や民俗学的にも・未だ解明されていず、加えて追求・研究されている人も少ないようで忘れられた信仰の石盃状穴は其の存在さえも見失われそうです!!!
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