赤穂義士菩提所:観音寺 加東市

世界に一つ!加東遺産(平成十九年10月選定)観音寺と赤穂義士菩提所…R175号家原交差点を東へ折れ加東市民病院前から、県道567号に出る赤岸交差点に観音寺が在る。道路案内標識がなければ知らず通り抜けてしまう道路側(そば)の余り広くないスペースの奥の山門を潜るとお堂が建つ。大悲山観音寺(臨済宗妙心寺派)は貞享3年(1686)に開基され元禄12年(1699)には本堂が建立された。
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赤穂藩浅野家分家で赤穂藩断絶後も旗本として存続した家原浅野家の祈願所【菩提寺は観音寺南方の市街地:善龍院】であったところから赤穂)四十七士の義挙から150年を経て弘化4年(1847)浅野長祚(ながよし)の時、善龍院住職:明範の呼び掛けに家原・穗積陣屋をはじめ、近郷近在:加東市のみならず小野市・加西市・丹波市域等の有志の浄財によって供養墓碑が建立され、義士の寺として親しまれ以来・毎年12月14日には義士祭が営まれ、
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北播磨一円の義士顕彰の拠り所となっています。県道567号を南へ約700m程には「社町」名の起源となる佐保神社が在ります。家原浅野家は寛文11年(1671)浅野長賢(ながかた)に文知され、家原に陣屋を置き加東市内11ヶ村(3500石)の旗本として幕末を迎えます。【加東市23ヶ村・小野市1ヶ村・加西市33ヶ村を統治する郡代官所は穗積陣屋】観音寺の所在地は加東市家原字御霊だが一般に「アカギシ」と呼ばれ、側の交差点”赤岸”も赤穂義士が訛ったものと謂われています。
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白壁に囲まれた墓所の中央に浅野家4代の碑と左右に大石内蔵助と主税父子を囲む三方には御存知:吉田忠左衛門・原惣右衛門・堀部安兵衛・不破数右衛門・大高源吾ら四十七士の自刃を示す”刃”を冠した戒名の墓碑が並ぶ。
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隣りの加西市にも赤穂藩飛地があり久学寺や、脱盟し不忠の汚名を背負って、自刃も出来なかった過酷な運命を背負った影の赤穂浪士(70名程)がいたという。一陣の大石らが不成功の場合・二陣として予備の押えとして家老奥野将監等がいたとされますが真相は謎…此の将監屋敷が加西市に将監の墓は多可郡中区の糀屋稲荷に有る。多可郡八千代区の大石良雄の石垣遺跡・篠山市古市の宗玄寺は不破数右衛門所縁の寺…等の赤穂藩・赤穂義士…等々関連のスポットが点在しています。
(現地:観音寺案内板・加東遺産ガイドのパンフを参照)


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