助太郎屋敷 篠山市真南条下

JR篠山線(福知山線)古市駅近く:R176号(丹波の森街道)の波賀野交差点からR372号(デカンショ街道・京都街道)に入り約2.5km程で舞鶴若狭自動車道の高架を潜りますが、此処から東へ約100m程:田圃の中に現状では方形の高さ約3mの土壇基部に石積みをのぞかせている、古墳の墳丘かと見紛う様な壇状が見えます。
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壇上には燈籠と小さな祠が祀られ5~6基の五輪塔が舞鶴若狭自動車道を眺める様に並んでいます。民家と隣り合って民家側の段差下には小さな池が残っているが、現状は養魚池!?。其処が兵庫県行政地区別埋蔵文化財分布地図にある助太郎屋敷<真南条下館>。
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周辺一帯は篠山藩第四代(形原)松平若狭守康信 (在位慶安2~寛文9・1649-69)の地検の際に破壊され、現状田畑の地形や池跡から周囲を堀で囲っていた環濠居館と思われますが詳細は不明。一帯の領主は八上城:波多野配下の丹波酒井党【大沢城の若き闘将に勘四郎・波多野秀治の義弟で八上城落城時の守将:二階堂秀香は油井城主?酒井重貞の二男】
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篠山城の築城は其の緊急性から篠山盆地の周辺から石材が集められたが、其の採石場は栗栖野・当野や波賀野・古市・油井へと南西へ延びる標高400~500m程の山域一帯が、城への運搬も近く・最も良い採石場となっており、助太郎屋敷はその運搬道路側。石材運搬に関わり各所に設置された監視所や代官所だったか?
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また此処が昔はなしの長者伝説「鼻の助太郎」の舞台となった主人公の屋敷跡なのでしょう?。歌舞伎脚本のなかには”丹波国助太郎館”が有り、宝暦4年(1754)に初演されたという人物は、天正年間? 豊臣秀吉に寵愛された人物だったともされ伝承のみを伝えますが、丹波市にも土地や位置が特定出来る伝説に「朝寝の森」や「大河の嫁ヶ橋」がありますョ。


この記事へのコメント

イッシー
2012年08月15日 11:01
天々さんこんにちは!本当にお久し振りです!猪名川のイッシーです!自分もこの助太郎屋敷跡には行きましたが場所があまりわからなくこの付近一帯を撮影しました!真南条中に真南条中館跡があると情報を手に入れましたのでこの冬にでも訪れたいと思います!暑い日が続きますがお身体にお気をつけてください!またレポート楽しみながら拝見させて頂いております♪
2012年08月15日 20:33
イッシーさん ご無沙汰しております
真南条には 助太郎屋敷(真南条下館)
真南条上館とも呼べる高山城
足見寺城登山口となる民家の前と西側に土塁と空堀跡?を残す 真南条中館が在りますね

真南条中館については一切不明ですが発掘調査はされているようで調査記録は執られているでしょうが、縄張(実測図)と出土品以外の記録は無いでしょうネ?
情報不足・満足な画像も撮れないまま、レポート纏まらずHPへのUPはしていません。

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