南郷城 丹波

先日ブログ紹介の下新庄城の麓から西へかどのの郷の前を直進して清住の里に向かう。回り込んでいく丘陵上に南郷城(森山城)がある。山城域の尾根西麓一帯が清住の里でカタクリの自生地(短絡的な考え方と思えるが観光で知られる様になり市花に指定されました。
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勿論:市木は”もみじ”ですが!!)・コスモス畑や丹波の正倉院達身寺で知られます。此の達身寺側からも登れるが、判りやすい登山ルートは、ミニストップとコミセンを兼ねたような”かどのの郷”の手前から葛野郵便局・氷上西小学校の北西:天満宮の先から営林署の山林巡視用か?と思える車輌幅の整備された山道がm山上の城址近くまで延びている。
   上り土塁と左右に小曲輪!?
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此の広い整備された山道を辿ると森山324m山頂の南郷城(森山城・長尾城・新庄城)城域の近くまで通じています。山上部の主郭南端には長いあいだ音響を閉ざしたままの古い”サイレン塔”が残されており、再び活動の場を得て氷上町の西部に響き渡ると聞いてから既に10数年経ったが?。公園化は兎も角城域に入る付近には木組みの階段も有り、遊歩道としても利用出来る登山ルートは粗・確定か!!?。
  南郷城主郭の切岸とサイレン塔(左手寄り)
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上り土塁道や曲輪の切岸・堀切・山頂の三角点横には上り土塁虎口状の城遺構を観る。鎌倉時代:平対馬守は平氏姓を憚って本庄姓を名乗り本庄平馬頭正景と称し保元(1156ー59)頃築城した。建保の頃(1213~19)より豪族:荻野・赤井氏の勃興と共に衰退するが文亀年間(1501-04)の城主本庄長尾が城名に残ります。天正年間(1573-91)本庄平馬頭(兵庫頭!?)正桓は八上城主・波多野秀治に付いていたため明智光秀に攻められ落城し自刃したと云い、其の子兵庫頭は豊臣方について”大坂の役 ”に出陣したが戦死したと伝えられます。


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