波多野甚蔵屋敷 篠山市味間

JR篠山口を出てR176号を北進・西古佐南交差点で左折して県道36号に入る。北側に迫る丘陵上には平井山城が在る。”丹波茶の里”味間谷の玄関口で、南方には福井館味間南城、北側には味間北城等が在り八上城の西方を警戒・防禦する城砦群の一つ。嘗ての延喜式山陰道は京・亀岡側から福住・篠山を抜けるが、柏原・黒井方面へ馬で超えるには険悪な鐘ヶ坂峠を避け、また此の先の篠山川(川代峡谷)沿いの悪路をも迂回する味間から現:山南町阿草へ抜け佐治川(現:加古川)沿いの氷上回廊を但馬へ向かった。また此の峠を西に進んで東播磨へ通じ戦略的にも要所。
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味間地区は丹波茶の生産地で知られ住吉川沿いに進む味間谷の左右には茶畑が続く。其の”味間奥”の「茶の里会館」と大国寺一帯を会場に:例年6月始め”茶まつり”が行われます。静岡と宇治で代表される日本茶ですが、丹波霧の里で栽培される三田の母子(もうし)茶<篠山市境界>や味間で代表される丹波茶の方が、高級茶葉となる要素が大きいように思えます。
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消防団詰所の建物?と火の見櫓が見える「茶の里会館」前バス停の100m程手前右(山手)に篠山市上水道 「味間奥加圧ポンプ場」施設が在り、其の東隣りに!!屋根はトタンに覆われているが長屋門があり屋根には波多野家の”丸に十字”家紋がひかる。波多野甚蔵旧邸の長屋門と云われ天明年間(1781‐89)八上城落城から約200年)八上城の在った高城山から移植された樹齢425年の松ノ木がある。
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波多野甚蔵は八上城主:秀治の遺児で八上落城の際女畷を乳母と逃れ、仏門に(文保寺)入ったが31歳の時・還俗して篠山藩主・松平山城守忠国に仕え【味間・大沢・網掛・小野原・市原・木津・黒石の7カ村】の代官に任命されています。味間谷を県道36号で越えると黒谷ダムで播磨:西脇方面ですが、ダムから県道141号を南下すると黒谷・市原・小野原・木津に通じます。 丹南篠山口IC付近が網掛・JR篠山口付近が大沢で、其々の地に八上城砦群の諸城が在る。網掛城は明智方の向城として知られる様ですが…


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