八幡山城 丹波

福知山方面へとJR柏原駅を発車した電車の窓から・またR176号線沿いからも、朱色の三重の塔を乗せる入船山 の姿が望めます。此処に三たん(丹波・但馬・丹後)一の大祭「柏原の厄神さん」で知られる柏原八幡神社が鎮まります。八幡神社は万寿元年に京都 ・岩清水八幡宮の丹波別宮として創建され、参道沿いに門前町が形成され柏原の町並みの原型ができてきました。
          配水施設背後:二段曲輪には土塁の残欠
画像
南山麓には天然記念物の「木の根橋」や前期柏原藩織田家三代を祀る織田神社・大正昭和期のレトロな洋館の旧役場やボランテイアガイドが詰める観光案内所・勿論:柏原藩陣屋や歴史資料館・太鼓櫓へと町内観光の中心地。
   八幡社背後の竪堀(右手に八幡山城域:左上への通路は三重塔前に出る)
画像
入船山(八幡山)には南北朝期:南朝の荻野安芸守が足利尊氏に抗して築いた八幡山砦が在ったが此の戦乱に焼失。天正期には氷上城主(波多野宗長・宗貞父子)が陣を構え、二万の大軍で攻め寄せる羽柴秀長を迎撃したが落城したと云われます。天正6年(1578)には織田信長の丹波平定に軍将として明智光秀があたり金山城を築いて”丹波攻略”の拠点としたが、氷上郡への侵攻の前線基地として柏原八幡宮の社殿や付属の建築物を取壊し、其の跡に城砦を築いたのが八幡山城とされます。
画像
石生:向山連山の南端の清水山(国鉄時代からの反射板?が遺る)から南へ稜線の尾根筋を落とす先に高八山が八幡山城の最高所(最北端)にある物見の曲輪か?三角点峰(点名:藤ノ目)も展望が効き、狼煙場の様な曲輪台?等:数箇所に平坦地形はあるが、配水施設付近が中郭部。施設背後に藪の段差(切岸?)間の窪地は虎口か?、直ぐ二段目の曲輪に続くが土塁の残欠部を観る。八幡神社北背後の急斜面下は東に落ちる竪堀沿いに二段ほど曲輪が付き先端を奥谷川に落とす。堀切から北尾根続きの空き家は宮司関係の宅地か社務所跡?。尾根沿い東側に櫓台や堀切・縦堀さえ観る南郭部。
 八幡神社背後の鞍部:最南端部の空家(宮司宅か社務所?)と畑地跡郭部は作戦本部?
画像
現在の神殿は天正10-13年:豊臣秀吉が堀尾茂助(後の浜松城主・堀尾吉晴!)を奉行に陣城を破却して祈願所として元の八幡神社に修復させたもの。桧皮葺・入母屋造の拝殿と三間社流れ造の本殿とが接続された複合社殿で国の重要文化財に指定されています。社殿前には石工・丹波佐吉(村上照信)の手による狛犬が本殿を護る。社殿裏の三重の塔は江戸時代の再建で神社の三重の塔(神仏混淆)が残るのは全国でも18例を数えるだけとか!!。


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック