竹田城 朝来市

竹田城はHP開設して10数年来天空の城干支の山:虎臥城(古城山)として紹介してきた。四季を通じての素晴らしい感動は、始秋から晩秋にかけての雲海に浮かぶ竹田城の姿でピークを迎えます。麓から僅か1時間足らずで得られる感激は、ハイカーや山城の遺構を巡る城フアンだけのものにするには惜しい…。
        南千畳
画像
雲海が見られる時期以外は余り人影を見なかった竹田城も今は昔。映画「天と地と」をはじめ・最近では高倉健「あなたへ」では此処でコンサートまで…!!・映画のロケ地として幻想的な景色に憧れて訪ねる人人…人、昔のような孤高の山城の姿をカメラに収めることが難しくなった…どの曲輪の石垣上にも人の姿。
        花屋敷
画像
霧海が円山川流域を北の和田山方面へと谷間を白く深いベールで覆い尽くす雲海の姿に感動し立ち尽くす。時間がも少し早ければ平御殿・東ノ丸側から目と鼻:ホンの150m程先の南千畳さえ、流れる霧に遮られて見え隠れ、刻々表情を変える姿に息を呑む壮観さに言葉の出ないことでしょう。
         北千畳から観音寺山(観音寺山城)を望む
画像
前回は初夏の頃に連れていき感動していた妻を誘っての再訪だが、この様な:今の情況でも充分に満足している様です?。
戦国末期:秀吉命により赤松氏が在城して以後に大改修・再構築!!されてきた高石垣・石垣枡形虎口、但馬の主城では八木城・豊岡城にさえ発見されていない瓦片が、特に天守台に向かう東ノ丸付近で目につく。
       平御殿(帯曲輪)と天守台
画像
丹波・播磨・但馬の要衝の地にあり殊に生野銀山支配の城!!は其のことだけでも鉱山を手中に収めたい権者の的。四天王の勢力闘争に権威も凋落してゆく守護:山名氏にとっては守護代・太田垣氏の竹田城と生野銀山の支配権を手にしたかった筈。太田垣氏もまた但馬侵攻後の生野銀山の管理権が堺の豪商:今井宗久に渡ったことで、織田から毛利方に付き天正5年:秀吉軍の但馬攻めに落城。
       東ノ丸から主郭・花屋敷
画像
天正13年城主となった赤松氏も慶長5年の鳥取城攻めの際・城下に火を放った責任を負わされて自刃。権力と陰謀と・築城工事の苦役に従事させられた民衆の、悲劇の城は廃城となった。全てを覆い隠し、何も残っていない古城のいまのままの姿こそ似つかわしい。観光誘致?の幟旗を立てたりイミテーション天守閣等の建造物を造る話などを聞くと、なぜそんな発想しか出来ないのかと疑問に思う…?


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック