内神城 三田市

中国道から・北方の篠山市方面からの舞鶴若狭自動車道三田西ICを降りテクノパークの交差点を右折すると県道720号線に入る。内神城は県道720号線に出て約700m程・三田物流センタのある「淡路風車<かぜ>の丘」交差点。
     内神城主郭東面の二重空堀と土塁
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此処から約300m程の緩やか坂を下りきったところ:上内神交差点で県道316号線と交差するが上内神交差点手前の坂道東側にある低丘陵(比高20m程の丘)内にある。三田西IC周辺の工業団地と、ニュータウン造成・開発により大きく様変わりした新興住宅地やウッデイタウンに挟まれているが、東西に走る県道316号沿いの
      内神城主郭の土塁
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平野部は未だ開発の煽りを受けず残る。吉川から三木市・加東市東条へ、更に小野市へ抜ける街道筋は京街道や摂津から山陽道へ出る西国街道等の要衝からは少し外れている様だが、このルートは摂津⇔播磨を結ぶ軍事的にも重要な街道筋。
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比高僅か20m足らず・城址へ取付きから4-5分もあれば到達できるかも…?と思える程。要害でもない?丘城上・民家が近接する側にありながら遺構残存状況は殆ど往時のまま…それだけに厳重な防備設備には高く急斜な切岸・大きく深い二重の空堀と土塁が主郭を取囲む。奇跡とも思えるほどの内神城の遺構残存状況です。
 二ノ丸からの主郭切岸:曲輪が少し南へ突出す部分は横矢掛け遺構か?
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城史については築城時期・城主等は不明で、文明年間・堀江氏がいた様ですが、遺構の居城主により大きく改修・改築されてはいますが文献等による城主は何も伝えられていません。里山にありながら廃城後:近世に畑地や植林として改変されていた様子もなく?結果、猛烈な藪地となって遺構が護られてきたものか?。


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