天空の城撮影ポイントⅠ<藤阪峠と大将軍杉>
北近畿豊岡自動車道の和田山ICを降りてR312号を南下し加都北の交差点を右折して県道136号に入る。円山川を渡り播但線踏切りを越えると右方には竹田城の出城安井城が見える。此の道路は近年・異常に交通量が増え観光バスさえ入ってくる。R312号で潜ったばかりの播但連絡道路の巨大なアーチが連続する虎臥城大橋を潜った先に竹田城への案内標識と・片側に縦列する車列が入口まで続く北入口。
竹田城への北入口を直進すると三波城があるが残念ながら三波地区山林内は松茸山の為入山出来ないので県道を藤和峠に向かう。急坂のうえヘアピンカーブが連続し、車幅も狭くなるが途中には岩間から滲み出る「夏谷の名水」の水汲み場もある。マイクロバスの転回所か!?「峠地蔵」を祀る藤和峠が天空の城(竹田城)撮影ポイント其のⅠの展望所。藤和峠をほぼ中央に下方に夏谷の名水・更に進む藤和集落手前の登坂途中脇に「大将軍杉」がある。
大将軍杉【兵庫県郷土記念物指定:昭和47年<1972>9月1日) 根周:11.6m 幹周:8.37m 樹高:35m 樹齢:650年】朽ちかけて空洞化が進んでいる巨木は腐敗を防ぐため幹に薬を塗り・風雨や野生動物の侵入を防ぐ為か?扉で覆い施錠までされている。文和2年(1353)丹波市青垣町山垣城主の足立遠政の子・藤和が訳あって此の地に隠棲したが、自身の遠祖と同姓の藤原正司が嘗て仮寓した地であることを知った。同じ姓であることに因縁を感じた藤和は、正司を「大将軍」と呼び・其の墳墓の傍らに杉木を植えて神木と崇めた。その杉が生長して今の大将軍杉になったという。(現地:旧和田山町案内板を参考)
藤和峠<峠地蔵のバス転回場!!>から竹田城
山垣城(丹波市青垣町)の足立遠政は全国足立姓の祖。同じ青垣町に丹波市最高峰の粟鹿山(粟鹿峰962m)がある。丹波:但馬国境を青垣町大稗から山東町与布土へ峠越えの道で丹波市側に「お杉地蔵」が祀られ伝承が残る。悲話は・子供達には!!?親孝行な娘としての”むかし話”ともなっている。此のお杉さんが奉公に出ていたのが此処:藤和でした。

竹田城への北入口を直進すると三波城があるが残念ながら三波地区山林内は松茸山の為入山出来ないので県道を藤和峠に向かう。急坂のうえヘアピンカーブが連続し、車幅も狭くなるが途中には岩間から滲み出る「夏谷の名水」の水汲み場もある。マイクロバスの転回所か!?「峠地蔵」を祀る藤和峠が天空の城(竹田城)撮影ポイント其のⅠの展望所。藤和峠をほぼ中央に下方に夏谷の名水・更に進む藤和集落手前の登坂途中脇に「大将軍杉」がある。
大将軍杉【兵庫県郷土記念物指定:昭和47年<1972>9月1日) 根周:11.6m 幹周:8.37m 樹高:35m 樹齢:650年】朽ちかけて空洞化が進んでいる巨木は腐敗を防ぐため幹に薬を塗り・風雨や野生動物の侵入を防ぐ為か?扉で覆い施錠までされている。文和2年(1353)丹波市青垣町山垣城主の足立遠政の子・藤和が訳あって此の地に隠棲したが、自身の遠祖と同姓の藤原正司が嘗て仮寓した地であることを知った。同じ姓であることに因縁を感じた藤和は、正司を「大将軍」と呼び・其の墳墓の傍らに杉木を植えて神木と崇めた。その杉が生長して今の大将軍杉になったという。(現地:旧和田山町案内板を参考)
藤和峠<峠地蔵のバス転回場!!>から竹田城
山垣城(丹波市青垣町)の足立遠政は全国足立姓の祖。同じ青垣町に丹波市最高峰の粟鹿山(粟鹿峰962m)がある。丹波:但馬国境を青垣町大稗から山東町与布土へ峠越えの道で丹波市側に「お杉地蔵」が祀られ伝承が残る。悲話は・子供達には!!?親孝行な娘としての”むかし話”ともなっている。此のお杉さんが奉公に出ていたのが此処:藤和でした。
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