大原城 三田市
有馬富士公園に向かう「新三田駅前」交差点を南へ直進するR176号線沿い「三田工業団地前」交差点を左折すると田圃の先に大原邸(食事処:がんこ三田の里)と大原邸並びに鎮まる大歳神社背後の丘陵上に大原城周辺の城砦遺構天神ノ尾城がある
大原城主郭と東郭(竹薮中央・二ノ丸?)・三ノ丸?(畑・民家で途切れた右)大原城の主曲輪には姫山神社が祀られ大原のお姫様伝説でも知られます。武庫川を挟んで西方の県道141号線側に在る貴志城の若殿との縁談そして離婚。更には有馬富士公園続きの東野上城(城ヶ岡城)城主の嫡男との縁談や、埋蔵金伝説まで史実かは兎も角・所在の地名・大木や石碑に残る伝承は民俗的にも面白いものです。
東郭続きの平場:土塁囲み民家だが土塁上部は田圃…城続きの三ノ丸?「三田工業団地前」の次の「大原」交差点:”青原寺”の案内標識を左折すると左手に見えるR176号線の側近くに先端部を延ばす竹薮の丘陵部が大原城。高台にある友ヶ丘の住宅街から西に延び出す舌状尾根の末端部に大原城が在り、
東郭と主郭を分ける大堀切竹薮の中に粗同規模の曲輪面積をもつ主郭と大堀切で遮断された東側に東郭(二ノ丸!?)がある。此れより東へは一旦畑地や住宅地として削平・改修されているが、丘陵尾根続き(民家側から東の圃場)も三ノ丸とも呼べる城域だったと思われます。
主郭西面:帯曲輪下段の土塁虎口から土塁沿いの枡形土塁(正面から左手)東への尾根続きは青原寺の側から再び山道が続くが藪っぽい低丘陵部となる。此の丘陵上には千ヶ坂城が在ったが城史も築城目的も不明。青原寺は大原城主:上野守宗隆の菩提を弔うため納めた”大原城のお姫様”が写経した大般若経と宗隆の念持仏「十一面千手観世音菩薩像」が安置されていると聞く。
枡形土塁虎口からの切岸高い帯曲輪と主郭へ大原城最大の特徴は最西端・最下段曲輪の”食違い土塁虎口”・木戸門のあった大手口!!。兵庫県埋蔵文化財保護(行政地区)遺跡分布図の備考欄に遺構として”枡形”が挙げられているので、下二段の曲輪を土塁沿いに折れ通過する”枡形土塁虎口”と観るか!?…周辺でも数少ない?貴重な遺構

大原城主郭と東郭(竹薮中央・二ノ丸?)・三ノ丸?(畑・民家で途切れた右)大原城の主曲輪には姫山神社が祀られ大原のお姫様伝説でも知られます。武庫川を挟んで西方の県道141号線側に在る貴志城の若殿との縁談そして離婚。更には有馬富士公園続きの東野上城(城ヶ岡城)城主の嫡男との縁談や、埋蔵金伝説まで史実かは兎も角・所在の地名・大木や石碑に残る伝承は民俗的にも面白いものです。
東郭続きの平場:土塁囲み民家だが土塁上部は田圃…城続きの三ノ丸?「三田工業団地前」の次の「大原」交差点:”青原寺”の案内標識を左折すると左手に見えるR176号線の側近くに先端部を延ばす竹薮の丘陵部が大原城。高台にある友ヶ丘の住宅街から西に延び出す舌状尾根の末端部に大原城が在り、
東郭と主郭を分ける大堀切竹薮の中に粗同規模の曲輪面積をもつ主郭と大堀切で遮断された東側に東郭(二ノ丸!?)がある。此れより東へは一旦畑地や住宅地として削平・改修されているが、丘陵尾根続き(民家側から東の圃場)も三ノ丸とも呼べる城域だったと思われます。
主郭西面:帯曲輪下段の土塁虎口から土塁沿いの枡形土塁(正面から左手)東への尾根続きは青原寺の側から再び山道が続くが藪っぽい低丘陵部となる。此の丘陵上には千ヶ坂城が在ったが城史も築城目的も不明。青原寺は大原城主:上野守宗隆の菩提を弔うため納めた”大原城のお姫様”が写経した大般若経と宗隆の念持仏「十一面千手観世音菩薩像」が安置されていると聞く。
枡形土塁虎口からの切岸高い帯曲輪と主郭へ大原城最大の特徴は最西端・最下段曲輪の”食違い土塁虎口”・木戸門のあった大手口!!。兵庫県埋蔵文化財保護(行政地区)遺跡分布図の備考欄に遺構として”枡形”が挙げられているので、下二段の曲輪を土塁沿いに折れ通過する”枡形土塁虎口”と観るか!?…周辺でも数少ない?貴重な遺構
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