千ヶ坂城  三田

JR三田駅方面から丹波街道(R176号)を走っているとJR新三田駅付近で川除・大原を通過「大原」交差点に”青原寺”の表示版を見て、青原寺方向へ右折し直ぐ左手民家・田圃に裾を落とす竹藪の低丘陵が大原城。城址の主郭に祀られる姫山神社には、
  千ヶ坂城の低土塁(70‐100cm程)
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文永(1264-73)頃の城主:大原上野守宗隆の娘(大原のお姫様)が嫁ぎ先での不和から離縁となり戻されたが、程なくして父とも死別。父の菩提を弔うため写経したと伝わる大般若経や、宗隆の念持仏「十一面千手観世音菩薩像」(室町時代の作造らしい…)が安置されているのが松養山青原寺で大原氏の菩提寺。
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600巻といわれる大般若経も実際のところは鎌倉中期:文永7年(1270)・鎌倉末期の元享2年(1322)・南北朝期の応安5年(1372)・室町時代中庸の永正8年(1511)等に跨がるところから、文永以後の経巻は:姫の死を悼み・意思を継いだ後世(一族・所縁)の人々により収められてきたものか?。此の青原寺から西へ舌状に突出す台地の先端部に大原城があり、寺から東へは比高も15‐20m足らずの低丘陵尾根が、
         広い(広過ぎる?)曲輪が藪中に延びる…
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友ヶ丘の住宅街へ上っていく車道沿いに延びる。下草藪のうえ、尾根南側は歩行前進も苦渋の雑木藪。尾根筋は幅広く・畑地跡の様な平坦地形が、何処まで続くのかと不審の思えるほどダラダラと延びて、区切られる筈の曲輪ごとの端もよく判らない。ただ北西の谷に面する曲輪端に低土塁が長々と延びるのが唯一の城遺構?。は井戸もあった様だが発見出来なかった。


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