蛇ない 丹波市応地

岩尾城の在る蛇山にも、蛇にまつわる蛇山岩尾城猟奇伝説が残りますが、城下の東北麓・応地集落にも蛇に因む伝説と無形文化財指定の行事があります。応地集落は岩尾古城(土の城)への大手道か?、新城(近世の石の城)搦手口に当たりますが、古城主:谷氏も婿養子となった和田日向守斎頼(ひとより)も信州(長野県)南和田村より来住した人。
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信濃は道祖神信仰の盛んなところだけに、丹波では珍しい道祖神「石造双体道祖神」が大歳神社からの林道先:登城ルートの入口にある。毎年1月15日に行われていたが第二日曜日に、現在では成人の日≪今年2013年は1月14日≫に蛇ないが丹波市山南町応地の大歳神社で行われます。
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大歳神社の境内入口に立つ二本の松と、本殿脇の摂社?に縄で綯った”蛇”が架けられている。以前には地区の入口の川(旧佐治川の畔)にあった樹齢350年ほどのアカマツ (雌松)とクロマツ(雄松)二本の松の木に架けて、佐治川の氾濫が起きないように、もし氾濫が起こっても其の被害を最小限に止めたいとする一種魔除け・厄除けの素朴な願いが込められていると考えられています。
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一本は枯れ・一本は道路拡張工事で伐採され、今では此処・大歳神社に架けられ、”蛇ない”行事の際の”とんど”にして燃やされ・新しい”蛇ない”の準備がすすめられます。蛇ないとは、地区内から住民が持ち寄った藁を綯って蛇を形造る。藁は秋に収穫した歳の新藁(今年藁)で大蛇(長さ約10mX太さ約15cm)を綯い上げるが、行事を子供にも継承していこうと・
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平成元年より小ぶりの子蛇も造る様になった。二体の蛇を担いで地区内を練り歩き無病息災・五穀豊穣を祈願して各家々廻るもので、丹波市指定H6.12.16 無形文化財となっています。藁で頭から尾までを順に編んでいく。頭部は上顎・舌・下顎の三つの部分からなり、此れを綯える技術を持つ人が年々少なくなり、
 元気に暴れ回る程・その年は豊作になると…
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伝統行事の継承が危ぶまれていた時期もあったようだが地元保存会の努力・協力により守られている。村を流れる佐治川の川向こうで遊んでいた子供達が、急な大雨でみるみる増水し急流となって橋も流されて村に戻れなくなっていたとき、突然現れた大蛇が・胴体を橋の代わりにして子供達を村に返してくれました。
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以来大蛇に感謝しての地区の行事となっていますが、自然に対し、また蛇に対する崇め・恐れ・神秘性に無病息災・五穀豊穣・家内安全等を願う…古代からの宗教観が容(かたち)を変えながら、江戸時代以後は蛇伝説として伝えられているのでしょうか…。
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